2009年06月03日

何だこりゃ珍発見候補を発見



テレビの人気番組「何だこりゃ珍発見」にもう既に出たのかどうかは分かりません。
しかし、これは紛れも無くその資格をもっているとおもいます。
場所は、別府の駅前通りのど真ん中。
かなり目立つ所に有ります。
最初見たときには、風俗関係のビルかと思いました。
それにしても大胆なネーミングだなぁーというのが実感でした。
看板の色もピンクっぽいし、それに疑いを持ちませんでした。
しかし・・・・・



何とここは、地元ではかなり有名なブライダル専門の店です。
ウエディングドレスから美容室まで、幅広いブライダル専門の会社のようです。
地元では歴史のあるブライダル関連の老舗だという話です。
タクシーの運転手さんに、「面白いネーミングですね」と問いかけたら、逆に怪訝な顔をされました。
それぐらい地元の人にとっては馴染みのあるネーミングで、何の違和感も感じないようです。
エッチというのは、創業者の名前に由来するそうです。

うーん、考えさせられました。
地元の人にとっては常識的なネーミングでも、外からの人にとっては「何だこりゃ」というのが結構あるんではないかと。
もちろん、沖縄も例外ではありません。
有名な所では、那覇にも、恩納村にもそれはあります。
もしかして、コザにもあるんではないでしょうか。
思いついた方がいたら、是非コメントをお願いします。
そして、それを集めたマップでも作ったら面白い!
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2009年05月24日

混浴の意味と意義とは?



今回の「混浴温泉世界」を象徴するような建物、その名も「わくわく混浴アパート」。
後ろの近代的なマンションとのコントラストが面白い。
今回のイベントには、実に多くのアーティストが参加しているようですが、その拠点となったのがここです。
最後の住人が引っ越してから2年余になり、荒れるにまかしていた古いアパート。
それを格安の条件で借り、先ず掃除から始めたそうです。
現在は見違えるようにきれいになりました。



通りからアパートへの導線にも、ユニークな作品が並びます。
ここでは、洗濯物の干し場すらアート作品に見えてくるから不思議です。
そして入り口には「わくわく混浴アパート」の文字が。
当初近隣住民からは、変な宗教団体かとも誤解を受け、疑惑の眼差しを向けられたそうです。
それもそうでしょう。
何しろ、アパートの名称に「混浴」の二文字が入っているのですから、いくら温泉街でも大変なことでしょう。
しかも、怪しい身なりの多いアーティストの若い男女が入れ替わり立ち代わり出入りするのですから。
しかし、マスコミへの露出がだんだんと多くなるにつれ、その視線も一変したようです。
その結果、近所の方からの色んな差し入れが最近はとみに増えてきているとのこと。
僕らが訪ねたその日も、炊飯センターに勤めているおじさんからの段ボール一杯の差し入れが。
この人は、ほぼ毎日来てくれて、その度に差し入れを持参、しかも長時間話し込んでいくようです。
アーティストのレジデンスが、近所のおじさんおばさんに認知されていくその過程に、今回のイベントの意義をも感じて嬉しくなります。
そこに、どこか銀天街との共通点を感じます。



二階に昇る階段にも仕掛けが。
家主のおばーさんとは、原則、会期が終わったら現状復帰する約束だそうです。
しかし、このおばーさん、自分の古いアパートがどんどんきれいになっていくその過程をつぶさに見ている内に、同じ様に自分もどんどん元気になっていったようです。
毎日若い人達に囲まれて過ごす時間がそうさせてくれたのだと思います。
そして、おばーさんにとって、この古いアパートの記憶が、何よりもかけがえの無いものとして蘇って来たのでしょう。
ここにも、今回のイベントと地域の関係の一つの例を見たような気がして、僕らまで嬉しくなります。



アパートの二階の廊下、各部屋はアーティストの作品の発表の場になっています。
しかしそこは単なる展示場ではなく、現在進行形の制作の場、そして居住空間でもあります。
色んな人が立ち寄り、制作し、そして去っていく。
そして、何時の日かまた帰ってくる。
まるで駅のプラットフォーム、そして湯の町別府の縮図です。
昔から色んな人を受け入れてきた別府の、人との関わり方の原点を見させてくれる場です。

「混浴」という刺激的なコピーも、このアパートに来て見ると良く分かる様な気がします。
色んな人が集まる所では、当然その違いが前提になります。
そしてその価値観、違いをお互いに尊重し合うということが、ここでは何よりも大事なことです。
別府の歴史と個性が育んできたその土壌を、今回のイベントか際立たせてくれました。
このチャンスが無ければ、僕らは永久に別府の底にあるものに触れる事は出来なかったでしょう。
また、地元別府の中心市街地に住んでいる人にとっても、自らの原点に立ち返る良い切っ掛けになったと思います。

「混浴温泉劇場」という簡略で、しかも刺激的なキャッチコピーの意味と意義は、実際別府に来て見なければ分かりません。
6月14日まで開かれています。
ぜひ一度は訪れる事をお勧めします。
また5月31日(日)朝9時のNHK「新日曜美術館」で、今回のイベントの詳しい紹介があるようです。
こちらも必見です。



僕の別府リポートは今回でひとまず終わりにしますが、最後にこの人を紹介します。
石垣島出身の林君。
別府で頑張っている若手のホープ(?)。
昨年、銀天街で出会って意気投合、別府で久しぶりの再会です。
いつも明るく活発な彼の姿に勇気付けられます。
別府とコザの架け橋になるよう勝手に期待してしまいました。
次の再会を楽しみにしています。
最後に別府の皆さん有難うございました。
Posted by 漫遊国 at 15:39 | Comments(1) | TrackBack(0) |

2009年05月23日

生活空間とアート空間の重なりと人の広がりを見た



今回の「混浴温泉世界」の素晴らしく画期的なことは、その面の広がりが、かなりの範囲に及んでいるということでしょうか。
写真の鉄輪(かんなわ)地区は、同じ別府とはいえ、タクシーで20分ぐらいの距離にあります。
しかも、平坦な駅前地区とは大違いで、かなりの急斜面の中の温泉街です。
そこには、主に外国からの作家の作品が、まるでウォークラリーをしているような感覚で、街のあちこちにちりばめられています。



地図を片手に尋ねても、かなりの集中力が無ければ到底捜しえません。
民家の庭の木にさりげなく本が結び付けられています。
これはまだ見つけ易かったほうです。
お寺の境内の木のそれは、本自体がとても小さく、おそらく見つけ切れない人の方が圧倒的に多かった事だろうと思います。
僕らは3名のチームだから良かったのですが、一人では到底無理だったかも知れません。
そのお陰で、観光に来ただけでは絶対に出会わない景色に次々と遭遇します。
また、地元の人の生活の匂いにも敏感になります。
そして、知らず知らずの内に、アート空間と生活空間の重なり合う世界に踏み込んでしまいます。



一時間以上も坂を下って行った所で見つけた「ホセイン・ゴルバ」さんのこの作品。
京都で出会った織物、お坊さんの袈裟の文様の様なその織物が、木と木の間に吊るされています。
その木の脇には、急傾斜の川、そこには温泉が湯気を立てて流れ落ちています。
そしてその細い坂道の下には、小さな温泉旅館が。
見て下さい。
その織物には、緑の木漏れ日が透けて見えます。
何気ない日常の温泉街の空間の一部が、たったその一つの作品で、とっても魅力的な空間に生まれ変わります。
その織物に映る木漏れ日を見て、瞬間的に、ドストエフスキーの小説の一節を思い出しました。
ニヒリスムの主人公が冬の日、頭上の木の葉っぱに透けて見える木漏れ日を見て、人生の全てが良いんだと語る場面。
確か、「カラマゾフの兄弟」だったでしょうか。
その後、主人公は、身代わりになって死ぬ事になっていったんだと思います。
その前の、世界が輝いて見えた一瞬の印象を語ったこの短いフレーズ。
別府の温泉街の一角で、まさかドストエフスキーを思い出すとは夢にも思いませんでした。



ゴルバさんの作品は、ここ富士屋の一室でも見る事が出来ました。
先ほどと同じ様な織物が、畳に沿って敷かれています。
白、グリーン、青、赤、確か黄色もあったでしょうか。
障子を通して洩れてくる柔らかい光が、先ほどと同じ様な、どこか哲学的な、宗教的な薫りをかもしだします。
日本家屋の持つ光と色彩との調和の仕方は、むしろ外国人によって際立たされている様な気がしました。

中心市街地とはまた違う作家のアプローチの仕方、それも、今回のイベントで開催地域を広げた成果の一つでしょうか。



面の広がりは、2地区に止まりませんでした。
関西汽船の乗船口のある2階のホールの壁一杯の大作。
マイケル・リンさんの作品です。
地元の作家の協力も得て描きあげた大作です。
このホールでは、ダンスユニットの公演が何回か催されていたようです。
広い別府を3地区に分けてフルに使った今回のイベント、関係者の苦労は並大抵のものでは無かった事でしょう。
残念ながら、その全貌をつぶさにみることは出来ませんでしたが、その姿勢に大いに共感です。
その試みは、今後の地域とアートの関係に大きな一石を投じる事になるでしょう。



鉄輪(かんなわ)地区のボランティアガイドのおばさん。
今回のイベントには総勢200名以上のボランティアの方が関わっているようです。
どの会場のボランティアの説明も的確で、かなりのミーティングを重ねてきたことが伺われました。
そして、そのフレンドリーな姿勢には大いなる好感を覚えました。
ご苦労様です。

今回の僅か二泊三日の旅では、到底その全貌を見る事はできません。
もし時間が許せば、会期中にもう一回訪れたいと思うのですが、叶うかどうか。
何れにしろ、素晴らしいイベントだという事を実感しました。
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2009年05月22日

点と線から面、そして街なか回遊を



別府市の中心市街地もこの様に空き店舗と空き地が目立つ所があります。



しかし、昔はこの写真の様に賑やかな街だったようです。
ここは、楠銀天街。
別府にはもう一箇所の銀天街があり、驚かされました。



ちょっとさびれたとは言え、通りの中ほどにはこういう地域コミュニティーの核があり、自治組織にはまだまだしっかりしたものが感じられます。



中心市街地に、この様な自治組織、コミュニlティー機能を持った、人の集まる場を作ろうと始まったのが「platforrm」事業。
現在、8箇所あります。
今回はその現場を見る事も目的の一つでした。



戦災を受けてない中心市街地に数多く残るこの様な建物。
今にも崩れそうです。
しかし・・・・・



その中は、明るく、センスの良い空間です。
竹細工の教室を運営している団体と、お年寄りのグループの二つが自主運営しているそうです。
今回の芸術祭では、毎日何回かのワークショップで賑わっています。
お年寄りと子供、そして奥さん方の3世代交流の場になっているようです。



8箇所の「platform」は、意識的に分散化されています。
今回の芸術祭の会場として使われているそれを捜して歩くというのは、まるで宝探しのようで、わくわくします。
点を探して歩いている内に、知らず知らずに街の持っている魅力に気付かされます。
それこそが、今回のイベントに隠された仕掛けの一つなのでしょう。
今まで、単なる温泉中心の観光地だと思っていた別府が、違う魅力で輝きを増してきました。

この建物も取り壊されそうになっていたと思いますが、見事な再生を果たしました。
会期が終わったら、おそらく長期滞在用の宿泊施設になるのかも知れません。
古い日本家屋に滞在してみたいと思う外国人には、凄く魅力的な空間です。



「platform」の運営には、大学も関わっています。
ここが僕らの「platform」探しの最後の場所でした。
アーケードのある商店街からはちょっと離れたところにあります。
時間外にも関わらず、中に案内してくれたのは、若くてきれいな先生でした。



中はこじんまりとしていましたが、どこか暖かみを感じさせられる素敵な空間です。
障害者やお年寄りの作った作品も並んでいます。
大阪、京都、八戸にも街中に「サテライトキャンパス」がありました。
それとはちょっと違う形で、別府でも大学が中心市街地に出て来ています。
中心市街地に「知の集積」があるということは多くの可能性を感じさせます。
単なるコミュニティーの場だけでなく、「知」を生かす場にもなってくれたらと思います。
コザにもそれが欲しいというのが前から思っている本音です。
今回の別府でその感を強くしました。

さて、今回のイベントでの「点から線、そして面へ」という仕掛けは、空間だけの命題ではなく、実は「人」にも当てはまるのかもしれません。
次回はそれについて考えてみましょう。
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2009年05月21日

別府の魅力再発見の旅



先日、銀天街と同じく「がんばる商店街77選」に選ばれた別府市の中心市街地をくまなく歩いてきました。
開催中の別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」。
それは、実に見事な、わくわく感一杯の仕掛けでした。
残念ながら、毎週末の多彩なイベントには遭遇出来ませんでしたが、その魅力の一端に触れることは出来た様な気がします。



別府は路地の街でした。
戦災の被害を免れたおかげで、戦前の面影を色濃く残しています。
このアーケドは木造で、日本最古のものだそうです。



商店街のアーケドのすぐ脇には、この様な一方通行の狭い道がたくさん走っています。
しかし、何故か道に迷う様なことはありません。
駅前の通りから2本の長いアーケードが走っていて、それが良い目印になっているからでしょう。



その路地の一角でみたポスター。
別府の夜の街歩き案内人の二人、昔懐かしい流しのスタイル。
商店街のすぐ脇には無数の飲み屋さんが軒を連ねています。
そして、これまたたくさんのお地蔵さんや神社、そして温泉があります。
そこを、ぞろぞろと練り歩くのでしょう。
その光景が目に浮かぶ様な気がして、何か嬉しい気持ちにさせてくれます。



この様な街歩き案内は、NPO法人ハットウ・オンパクが中心のようですが、市民参加型のそのシステムが素晴らしい。
ハットウとは、恐らく別府8湯をもじったものだと思います。
実は今回の旅で感じた事ですが、意外に別府は広い所です。
平坦なのは駅前と観光港ぐらいで、鉄輪(かんなわ)地区は坂の街です。
そして、その裏手の谷間にも温泉を中心にした集落が幾つもあります。
その点と線を面にまで広げて、別府の魅力を多面的に発信していくのが目的の事業だと思われます。
その試みは恐らく、コザにも当てはめることが出来るかも知れません。
ゲート通りからアベニュー、中の町、銀天街、Y地区、そして年金通りと、コザも個性では負けていません。
あとは「はっちゃんぶんちゃん」の様な、街歩きの達人をどう育てるかでしょう。
有料の永続性のある、市民参加型のそのシステムの構築には、多少の時間はかかるでしょう。
しかし、入り込みづらいと云われるコザにとっては、避けては通れないシステムかもしれません。

昨日夜遅く帰ってきたばかりで、頭の整理がまだ付きません。
これから少しずつ今回の旅で感じた事を書いていきたいと思います。
Posted by 漫遊国 at 17:46 | Comments(1) | TrackBack(0) |

2009年05月14日

一人勝ちの恐さ



先月の北海道旅行で、メディア戦略の威力をまざまざと見せ付けられました。
今北海道のお土産品業界では、「花畑牧場」の一人勝ち状態。
一個最低850円の生キャラメルが爆発的な売れ行きをみせています。



函館の店舗の様子ですが、この写真の後、何台かの観光バスが店頭に停車、それと同時に大勢のお客さんが店内に乱入。
15坪も無いような狭い店はたちまちすし詰め状態。
最初から店内にいた人達は、店を出ようにも出られません。
何しろ次々と新しいお客さんが入って来るわけですから、身動きが取れません。
まるで満員電車状態。



同じ様な状態は、小樽でも、そして空港でも起きていました。
空港では、警備員まで動員。
まさに一人勝ち状態。
小樽では開店直後だったため何とか購入できましたが、しかし、ものは試しとばかりに別の生キャラメルも買ってみました。
「花畑牧場」のそれより100円ほど安い。
そして味はというと、これも中々いけるものでした。
しかし、可愛そうなことに、今や生キャラメルというと「花畑牧場」。
恐らく売り上げの差は歴然としています。
そして、その影響は他のお土産品にも大きな影響を与えている筈です。
昔の定番だった「白い恋人」、「じゃがぽっくる」の売り場には、並んでいる人が居ません。

確かに、「花畑牧場」の頑張り、あえてあの夕張に工場を作った英断には脱帽します。
しかし、あまりの一人勝ちに、逆に寂しさを感じます。
多種多様な個性のあるお土産品が一杯の北海道です。
もうちょっとバランスのとれた状態がベストな様な気がします。

同じ様な状況が沖縄で起きたとしたらどうでしょうか。
考えるだけでもちょっと恐いような気もします。
しかし、一人勝ち状態を悪とするのではなく、多種多様なジャンルでブランドの底上げを図る努力が必要でしょう。
そこにバランスの取れた全体の発展がある様な気がします。

それにしても、メディアの影響力の凄さには改めて驚かされます。
それが単なる広告と云うのではなく、人、タレントと一体となった時の相乗効果の大きさ。
そして、商品に対するこだわり。
沖縄もそこにヒントを見つけ出さなくてはいけないかもしれません。

しかし、生キャラメルブームもいつまで続くのかな~。
行列が短くなったらまた買ってみようと思います。
それまでおあずけです。
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2009年05月13日

公衆トイレの面白いありかたを見た



先月訪れた八戸の新幹線の駅の二階にある公衆トイレの入り口の看板。
1980年代の中国では、有料のトイレが観光地のいたる所に有りました。
入り口に料金を徴収する人がいて、払わなければ入れてくれません。
しかし当時の中国のトイレ事情は、今では信じられないぐらい劣悪なものでしたから、有料トイレにはほっとしたものです。
有料ですから、もちろん掃除が行き届いています。
街なかのレストランのトイレよりはよっぽど安心出来るものでした。
その時思ったのは、清潔は「ただ」では無いということでした。

久しく忘れていたその感を、八戸のこの看板が一瞬にして思い出させてくれました。



入り口に先ほどの看板があるものですから、中国みたいに誰かいるのだろうと思っていましたが、誰もいません。
そして、出口で見つけたのがこの看板です。
何とコインを入れる穴がちゃんとあります。
確かに人件費をかけてまでの有料トイレは日本では無理でしょう。
しかし、少なくとも紙代は毎日確実にかかるわけですから、こういうシステムがあっても不思議ではありません。
昔の駅のトイレというと、入り口に販売機が置かれているというのが常識だったと思いますが、今はそれも少なくなったと思います。
特に、駅と商業施設が併設されるようになった現在では、恐らく、店側が全面的に負担しているのでしょう。
ですから、お客さん感覚で、トイレに紙があるのは当たり前だと思われて、誰も疑いを持ちません。
しかし、うまくいっている駅ビルはそれでよいとして、そうでない所の公衆トイレが、八戸の様なシステムをとっても不思議ではありません。
単純に販売機ではなく、市民の善意に任すというシステムにしたというのも、かなりの苦渋の選択の様に思われます。

沖縄市の公衆トイレに紙が備え付けられているかどうか知りませんが、今後八戸の様なシステムを考慮しても良いかと思います。
水と空気は長い間「ただ」と思われてきました。
しかし、それも怪しくなった現在、公衆トイレもいつまでも「ただ」では済まなくなるかもしれません。
八戸でそう感じました。
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2009年05月03日

階段のある電話ボックス



満開の桜の咲く弘前城にある公衆電話ボックス。
今まで全然気付かなかったのですが、何と殆どの電話ボックスには、ちゃんと階段が付いています。
理由を聞いて納得です。
雪の多い地域です、当たり前のボックスでは、積雪でドアが開かなくなります。
その為、この地方の電話ボックスは殆ど全てがこのタイプのようです。
全国一律という基準の多い規格ですが、さすがにそれでは現実的とは言えないようです。

しかし、こういう良い例が幾つも有るわけですから、公共工事のあり方にももっと配慮が必要です。
八重山のある島のジャングルの中を縫うように走っている道路に、意味も無い歩道と街路樹があるのにはビックリしました。
恐らく、道路工事のさいの基準が事細かく決まっていて、それに従っているだけでしょう。
しかし、各地方の独自性に配慮すれば、コストと使い勝手の良さの改善は少しは図れそうな気がします。
弘前の電話ボックスを見てそう感じました。
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2009年05月03日

地域間交流の現場に遭遇



東北自動車道、青森県の浪岡道の駅の一角にあるお土産品店です。
リンゴの産地らしく店の名称も「アップルヒル」です。
何気なく入った店ですが、驚きの光景がそこにはありました。



まずビックリしたのが、飲み物コーナーにサンピン茶、シークァーサージュース、パインジュース等の沖縄産品が並べられていたことです。
驚きはそれですみませんでした。
何と店内の一角には、写真の様な沖縄物産コーナー。
ポークから沖縄そば、島唐辛子と結構揃っています。
本当に、「何だこりゃー」という感じだったというのが正直な気持ちでした。
まさか青森のお土産品店で沖縄産品とご対面するとは想像すらしてなかったので度肝を抜かれました。
街なかのショッピングセンターならまだ理解出来たかもしれません。
しかし、ここは地場の産品を扱っている「道の駅」なのです。
ある意味、大きなミスマッチの様な気がしました。



しかし、この表示を見て全てを納得しました。
何と名護の道の駅との交流があるのです。
そしてそれは一方的な関係ではなく、双方向の関係だったのです。
名護で浪岡のリンゴを売っているというのは初めて知りました。
シーズンだけのことなのか年中通して売っているのか、今度確認しに行ってみようと思います。
もちろん、購入目的でです。
青森のリンゴ農家は去年の氷害で大変な被害を受けました。
殆どの農家が赤字だということです。
そのため、少しでもその助けになればと思って、今回の旅でもリンゴを買って帰りました。
もし名護で売っていれば、迷うことなく買おうと思います。

全国各地にできた「道の駅」のこういうあり方に、新たな可能性を感じます。
各産地も東京だけでなく、こういう具合に、地方との直接の交流にもっと力を入れるべきです。
何でもかんでも東京径由ではなく、地方どおしの直接交流で得る生の情報をもっと生かすべきでしょう。
意外に皆東京の尺度で見ている節があります。

地道に地方のマーケットの開拓をすることによって、今までと違う側面が見えてくることが有ると思います。
もちろん、物産だけでなく、観光、そして文化の交流、何よりも人の交流を通して、地域の活力が蘇って来る様な想いがします。

3月の倉敷音楽祭の時感じた「地域間文化交流」の大事な視点を、今回の「なみおか道の駅」でも感じた事は大きな収穫でした。
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2009年05月02日

観光地の明と暗



久しぶりに雪の無い小樽を訪れました。
前回の訪問の時はそれこそ大雪で、道の半分ぐらいが雪で埋まっているという感じでした。
写真は北一ガラス館のある通りの端っこ、小樽独特の石造りの建物が軒を連ねています。
冬にはアジアからの観光客で溢れる所ですが、今の時期はちょっと閑散としている様な感じです。
円高の影響も少しはあるのかもしれません。
特に韓国からのお客さんが激減しているようです。

しかし、観光地としての小樽の集客力には凄いものがあります。
美術館、文学館、博物館等の施設の充実、そしてお土産品の種類の多さは特筆されるべきものです。
まる一日かけての街歩きの楽しさを充分味わえる街です。



しかし、全国の観光地がそうである様に、観光客で溢れている所には、まるで生活感が感じられません。
街の一部がいくら賑わっていても、駅の近くの中心市街地への波及効果に課題を残します。
前回の訪問の時は賑わっていたショッピングセンター、今は硬くシャッターを閉じています。
それがアーケードの半分ぐらいを占めているものですから、余計に寂しさを感じます。
4~5年前には駅前のデパートも閉店、年間何百万人もの人が訪れる全国有数の観光地の中心市街地とはとても思えないような雰囲気になりつつあります。
おそらく郊外型ショッピングセンターの影響かとも思われますが、何か悲しい気がします。

観光と地元の生活との接点の希薄さを感じる象徴的な場所、そんな気がした一瞬でした。
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2009年04月22日

ソテツ3題



比較するものが無いのでその巨大さが分からないのですが、恐らく樹齢100~200年以上でしょうか。
江戸時代からあるものだそうですからそれぐらいにはなるでしょう。
写真では二株しか見られませんが、実はこれと同じ様なものが100株以上はあります。
さながらソテツの森といった様相を呈しています。
ここは岡山県の後楽園、その一角にあるソテツ苑です。
後楽園は3度目ですが、いつも途中で引返していた為、このソテツの森を見るのは初めてでした。
江戸時代からソテツは大変珍重されていたようで、その時植えられたものが全国各地に点在しているようです。
とにかく凄い迫力です。



久米島の沖縄一の大ソテツも負けてはいませんが、後楽園のあの群落の前ではちょっと存在感が薄くなりそうです。



しかし、沖縄のソテツの凄さは、岩山の上でも群落を作ることが出来るという事でしょうか。
土の殆ど無い所にしっかりと根を張り、幾多の台風をも乗り越えて来たその様は、ある意味感動的でもあります。
しかもこの場所は、海抜200メートルほどの石山です。
海からの強い北風にさらされて来た小さい幹ですが、樹齢はどれぐらいでしょうか。
ひょっとすると100年に近い可能性もあるのではないでしょうか。
厳しい自然環境の中をくぐり抜けてきたそのソテツに、生命の神秘と強さを感じます。
ある意味、最も沖縄的な植物かもしれません。
このソテツの群落のある所は、辺土岬南側にある「金剛石林山」の森林コースです。
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2009年04月21日

壊滅商店街に復活のきざしが



大変失礼ながら、去年「壊滅商店街」として紹介した倉敷市児島地区の旧中心市街地のアーケード。
僕らの視察の時は既に大半のアーケードが撤去されていました。
昔300軒が軒を並べていた商店街も5~6軒がかろうじて店を開けていた状態でした。
振興組合は既に解散、多くの店が単なる倉庫や住宅、そして契約駐車場にその姿を変えつつありました。

国道を挟んだ旧塩田地区の広大な埋立地にショッピングセンター、そして岡山市と高松市を結ぶ鉄道路線の駅の開通。
総ては、瀬戸大橋の開通に伴う一大プロジェクトの一環です。
巨大な行政がらみ、ましてや国家プロジェクトの前には、一商店街はひとたまりもありません。
300軒という数も何の役にも立ちません。
しかも、その内の何軒かの有力店舗は、新しく出来たショッピングセンターに引き抜かれていきました。
あとは時間との勝負です。
様々な空き店舗対策事業も最早遅すぎました。



老朽化したアーケードを撤去した後に次々出来ていく契約駐車場と店を改修した住宅。
そのスピードはたった5年で加速したそうです。
こうなるともう誰にも止められません。
歴史のある古い商店街の壊滅です。
行政自らが招いた巨大再開発の悲しい、皮肉な結果です。



人気のないアーケード撤去後の現在の街の様子ですが、しかし、僕には去年と何かが違う様な気がしました。
アーケードのあった時の暗さが消え、どこか街が明るくなっています。
アーケード撤去後に行われた舗道の改修工事と中心部に出来たミニ公園、何よりも塵一つ落ちてない清潔感の漂う街になりました。
清潔さというのは倉敷市全体に共通することですが、ここ児島地区の旧商店街にもあてはまることを発見しました。
今回のアーケード撤去の一つの成果を見たような気がします。

そして、復活のキーワードが幾つか、今回の視察で見えてきました。
写真の右側に移っている堅固な石造りの建物、中国銀行の旧児島支店です。
現在は使われていませんが、恐らく今後その再生が論議される日が訪れることでしょう。
道のその先には、旧野崎家の豪壮な邸宅があります。
それとの連動で、回遊性のある何らかの施設に生まれ変わらすことが期待されます。



そして児島商店街の復活のキーワードは何といっても生産量日本一の「ジーンズ」でしょう。
旧野崎邸の近くに、幾つかの手づくりジーンズの店が出来ています。
前回の視察では見落としてしまいましたが、今回それを発見して嬉しくなりました。
大幅に低下した家賃の魅力で、若い人の工房が増えてきそうな兆しが見えてきています。
何処にもないオンリーワンの店と工房、そして若い職人の世界が、新しい商店街を形作っていきそうな予感がします。



去年と違う変化の兆しは幾つもあるのですが、その一つの八百屋です。
道一杯の商品、地域の日常の用を充分満たし、支持されている様な感じの店です。
その他にも、結構高級な果物を売っているお店も今回発見。
アーケード撤去後の新しい街に徐々に生鮮品の店が増えてきそうです。
その他にも、駐車場を拡張して業績を伸ばしていそうなレストランが出来ていたりしています。

壊滅するのに長い時間を要しなかった街ですが、しかし、再生のヒントさへきちっと掴めば、これまた長い時間を要することはないかもしれません。
何しろ、一回死んだのですから、再生のバネのエネルギーには大きいものがあると思います。

全国どこの中心市街地の商店街も苦しいと思いますが、その再生のヒントは色んな所に潜んでいそうです。
その意味で、児島の今後に注目、そして期待したいと思います。

去年、今年と2回も案内してくれた倉敷市文化振興財団の皆さんに感謝です。
Posted by 漫遊国 at 17:00 | Comments(0) | TrackBack(0) |

2009年01月09日

久米島点描



無数の貝殻、その山があちらこちらにあります。
場所は奥武島の東の海岸、オーハ島を望む海岸です。
去年も同じ所に、同じような光景が広がっていたのですが、やっぱり不思議です。
海岸に自然に流れ着いたものか、それとも人が身だけを取って捨てたものかの判断が微妙なところです。
それにしても貝の多い所だというのは実感します。



その日は凄い波しぶきが舞っていましたが、ここは「熱帯魚の家」のある海岸です。
家というから、てっきり水族館の様な所だと思ったら大間違い。
何も無い単なる自然の海岸です。
ただ干潮の時には、岩に囲まれた無数の水溜りが表れます。
そこに無数の熱帯魚が取り残されて泳いでいます。
そうです、その水溜りが熱帯魚の家と呼ばれるものの正体です。
観光客の先入観を打ち砕く見事なまでの発想の素晴らしさに感嘆します。



全国放送でも紹介された海に設置された不思議な構造物。
斜めの部分は人が歩ける階段になっています。
干潮の時には、左の方から会談を登って行きますが、その先は海の中です。
海の中に消える不思議な道。
昔、今の様に車の通る橋が無かった時代には、奥武島に渡る大事な生活道路だったのかもしれません。
現在では、潮干狩りをする人にしか使われなくなっているようです。
それにしても不思議な造形物です。
そういえば、昔橋が無かった時、島の子供達は海の上を竹馬で渡って学校に通っていたようです。
それとも相通じる光景でしょうか。



去年は訪れなかった絶景ポイント、岩山の高さは100メートル以上です。
そこからは慶良間、渡名喜、粟国の島々が望めます。
絶景ポイントの多い久米島ですが、ここはまた格別の所です。



黄色い花の植物が岬のあちこちに群落をつくっています。
沖縄本島では大分数の減ったモーンジャナ。
海岸沿いに自生するニガナの一種です。
苦味は畑で栽培しているそれより何十倍も強いものですが、潮風をタップリ浴びているので、好きな人には堪りません。
もちろん、豆腐、シーチキンと良く合います。
胃腸、肝臓にも良いということで、沖縄本島では一時乱獲されました。
そのために大分数が減ってしまったのですが、最近やや回復の兆しが見えてきたようです。
しかし、久米島のそれは、葉っぱも大きく、背丈も高く、活力に溢れています。



曇った日でもその美しさが分かるイーフビーチホテル前の海。
砂は本当に真っ白、反対側の海岸は波が荒くて大変だったのですが、ここは嘘のような穏やかさ。
また違う意味での絶景ポイントの一つです。

離島の厳しい現実を見た時、本島の人間がもうちょっと観光に訪れて、少しでも島の活性化に役立てる手助けが出来たらと思います。
何よりも雇用の面で大きな力になるのかも知れません。
若い人が島に定着出来る環境作りが大事です。
今回の荒海船の旅で得た教訓でした。
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2009年01月06日

ペット同伴可能な離島航路



先日の久米島舟の旅で見かけた光景。
白い犬が、人間と同じ船室で揺られています。
かなりの揺れにも関わらず、船酔いのそぶりも見せませんでした。
むしろ飼い主の方がややグロッキー気味でした。

ペットを持ち込んでいる人はそれ以外にもいました。
人間と一緒というのに驚かされたのですが、しかもそれが無料と聞いてまた驚きです。
飛行機は確か料金を取ると思います。
そして、客室に人間と一緒というのは盲導犬以外あり得ないと事だと思います。
それが離島航路の舟だと可能というのを今回の旅で発見しました。
ペットがいるため旅行を諦めている方も多いと思いますが、是非離島航路の舟の旅をお試し下さい。
ちなみに今回目にした犬は3匹でしたが、船酔いとは全然無関係のようでした。

しかし、写真のこの白いワンちゃん、本当にしつけの行き届いた大人しく賢こそうな犬でした。
そして飼い主も素敵な女性でした。
Posted by 漫遊国 at 18:44 | Comments(0) | TrackBack(0) |

2009年01月04日

元旦の朝は舟の上でした



年末に急遽久米島一泊の船旅を予約しました。
出発は元日の朝8時半です。
天気があまり良くないので、船酔い覚悟の出発です。
悪い予感がします。



予感は的中します。
泊港の岸壁の離島航路の舟、粟国島、渡名喜島、南北大東島、慶良間諸島行き、何と皆欠航です。
久米島航路の朝の一便だけがかろうじて出ます。
正月ということもあり、乗客は一杯、観光客より島の人の方が圧倒的に多いような感じです。



この便は本来ですと渡名喜島径由なのですが、悪天候の為、慶良間諸島のず~と南の航路を取ることになったようです。
通常のコースだと強い横波を受けてしまい危険だからです。



波が静かだったのは、那覇港の防波堤の中だけ、チービシ辺りから、強い風邪と5メートル、いや10メートル近い波に675トンの舟が翻弄され続けます。
写真は、まだそれほどでもない時のものですが、少しは感じを分かってもらえると思います。
その後はもう写真を撮るゆとりも無くなっていきます。
椅子に座って反対側の水平線を眺めていると、突如水平線が見え無くなってしまいます。
そうです、横に大きく傾いてしまうからです。
同様に、後ろに見えていた水平線も、次々と現れては消えていくといった様な状態です。
高波のてっぺんまで押し上げられた舟が、次の瞬間にはまっ逆さまに落ちていきます。
波が船体にど~んとぶつかる音に、生きた心地もしません。
まさに、木の葉の様に揺れるとはこのことかと実感しました。
予約をキャンセルしなかったことを今更ながら後悔します。

それに久米島航路には、「みどり丸」の沈没事件という悲しい過去の話もあります。
たくさんの人が亡くなった記憶が鮮明に蘇ってきます。
通常3時間15分では着くとスケジュール表にあるのですが、その時間を過ぎても一向に島影が見えてきません。
船内のトイレでは、船酔いに苦しむ人の数がだんだんと増えていきます。
激しい波しぶきで、後ろのオープンデッキは最早水浸しで座っていられません。
急遽船内に避難、手すりに掴まって揺れるに任して一時間後、ようやく久米島に到着。
地獄からの生還を果たしたような気がしてほっとします。

しかし、改めて多くの離島の人の苦労を思います。
飛行機も飛んでいるとはいえ、生活物資の大半を舟に頼っているのですから、それはそれは大変です。
北風の吹き荒れる冬だけでなく、台風シ-ズンには何日にもわたって欠航が相次ぐのですからたまったものではありません。
防波堤もなく、舟も今と比べると格段に小さかった昔は、もっと大変だったでしょう。
それを乗り越えてきた離島の人に改めて尊敬の念を覚えます。

飛行機で行くと本当にあっという間に着いてしまう久米島ですが、たまには舟で行ってもらいたいものです。
そこから、島への距離感と、島の人の苦労を理解する筋道が理解出来ると思います。
考えてみると、沖縄自体が本土と離れた離島です。
飛行機の無い時代、否応無く舟に頼る時代が長く続いたわけです。
しかし、その逆境をチャンスと捉えて、大海原に打って出て、大航海時代を乗り越えてきました。
その中から、今の沖縄に残る多彩な文化を築いてきました。
「唐旅」という言葉が、暗に死を意味した様に、それは命がけの結果もたらされたものです。
便利になり過ぎた今の沖縄の僕らが絶対忘れてはならない先人の労苦の賜物は、そこからもたらされたものです。

それを忘れない意味で、たまの船旅は絶対のお勧めです。
昔みたいに距離を感じなくなった今、特に子供達には是非体感して貰いたいものです。

さて結局、一泊の筈が、天候が回復せず翌日は欠航。
おかげで、久米島を隅から隅まで探検、充分堪能することになりました。
そして帰りもまた同じような荒れよう、しかし、経験とは恐いもので、今度は少しゆとりを持って荒海を楽しむことが出来ました。
おかげで、渡名喜島、慶良間の島々も舟の上から眺めることが出来、最高な気分でした。
機会があれば、今度は渡名喜島を訪れてみたいと思います。
もちろん舟で。
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2008年12月22日

街に溶け込む建物



先日訪れた京都花見小路の景観保全地区。
たくさんのお茶屋さんとかが昔ながらの風情で立ち並ぶ通りです。
和服姿の芸妓さん、舞妓さんが歩いている様は、さすが京都という風情に溢れています。



その花見小路の先にあるこの建物、何だと思います?
実はこれ、何と場外馬券場なのです。
他所の街のそれと明らかに違う外観です。
さすが京都と思わざるを得ません。
景観に配慮すればこうなるという良い見本の一つです。



そしてこれは、八坂神社の向かいにある建物。
逆光線の携帯写真で、きれいに写っていませんが、これは「ローソン」です。
もちろん、コンビニのあの「ローソン」です。
外観からはとてもそうは見えません。
コンビニの建物、デザインが全国一律だというのは常識だと思っていましたが、全然違っていました。
景観条例か何かがあってそうなったのかどうかは分かりません。
しかし先ほどの花見小路と違い、ここはとり立てて歴史的建造物の集中している所でもありません。
また、京都の別の所で同じようなスタイルの建物を見かけることはありません。
もしかしたら、オーナーの強い意志でそうなったのでしょうか。
もしそうなら、オーナーに拍手です。
店、或いは建物と街の風景を調和させるその勇気、そしてセンスが如何に大事なことかが分かる良い例です。
その考えは、僕らの街にも参考になるかもしれません
他所には無い特異な個性を持つコザの景観とはどういうものか、今一度考えるべきかもしれません。
もとろん、それが大和風でないのは確かなのですが。
うーん、難しい・・・・・・
Posted by 漫遊国 at 15:48 | Comments(0) | TrackBack(0) |

2008年12月18日

大学が街中に



「サテライトキャンパス」とはちょっと違うものを京都で発見しました。
場所は四条烏丸の繁華街の三井ビルの4階、阪急電車の烏丸駅のすぐ近くです。
京都で一番賑やかな所で、錦市場もすぐ近くです。



センター長の西岡さんの言葉の中にある、「学習権」の権利を促進する為の施設、その明確なコンセプトが素晴らしい。
それが、まさかユネスコに由来するものだとは思いもしませんでした。
そしてそれに大学が積極的に関わって、繁華街のど真ん中にセンターを作るとは驚きです。
地域と大学の良い関係の見本を見た様で嬉しくなります。



仏教大学だから、それに関連するものばかりだと思われますが、実は講座の内容は多岐にわたります。
宗教から芸術、歴史、健康と、3ヶ月ごとにテーマが変わるようです。
そして合唱団まで出来ているようです。
講師陣は、大学の強みを生かして、現職の教授陣から、京都らしい色んな専門家を数多く揃えています。
その中には、京野菜農家、祇園のかんざし屋の老舗、、西陣織りの老舗、京料理の老舗等々の色んな方も見受けられます。



こういう面白い講座があるのも京都らしい所でしょうか。
とにかく、大学の専門的な教授陣を徹底して生かしているというのが、プログラムから見て取れます。
そしてまた、徹底して土地柄とその中の人と文化、歴史にこだわっているのが良く分かります。
クォリティーの高さは、単なるおざなりの生涯学習の枠を超えています。
その辺が、大学の主宰する講座の強みでしょうか。
一回1000円という受講料は、内容のクォリティーの高さに支えられないと中々やっていけないと思います。
しかしその場所は繁華街のど真ん中、果たしてそれでまかなえるのだろうかというのが気になります。
「学習権の権利を促進する施設」という理念、それが無ければ到底やっていけないのかもしれません。

何れにしろ、大学が直接街なかに出てきている意義は大きいと思います。
生涯学習を自らも担うというその心構えには大いに賛同したいと思います。
中心市街地の活性化に果たす大学の役割の良い実例を見て感激です。
コザも大いに参考にしても良いかも知れません。
Posted by 漫遊国 at 19:00 | Comments(0) | TrackBack(0) |

2008年12月18日

サテライトキャンパス発見



「西日本中心市街地活性化コンファレンス」が月曜日大阪で開かれました。
主催は中小企業基盤整備機構です。
北陸から沖縄まで、現在中心市街地の活性化に取り組んでいる色んな団体、行政が集まりました。
その詳しい報告は後日に回しますが、今回一度は見たいと思っていた大学の「サテライトキャンパス」に偶然出会えました。
場所は大阪駅のすぐ近く、第三ビルの中、中小企業基盤整備機構の事務所の向かいにそれはありました。
会議の合間のちょっとした時間に、中を見せて貰いました。



思ったより中は広く、教室が三つとパソコン室があります。
40人ぐらい入れる教室とそれより小さいコンパクトな教室で構成されています。
僕らが訪れた時は、たまたま昼間ということもあり、一教室だけで授業が行われていました。
実は、この「サテライトキャンパス」は大学院生向けなのです。
主に社会人を対象にした施設です。
周りがビジネス街ということもあり、ほぼ定員一杯の状態のようです。
当然講義は夜中心ということになります。



驚いたことに、ここは「孔子学院」との提携校でした。
中国政府が国策で世界中に設置を進めている中国語専門の学校です。
詳しい内容はよく分からないのですが、中国政府が講師を派遣して、中国語の普及を図ろうという施設です。
既に世界中で何百という数の「孔子学院」が稼動しているものと思われます。
おそらく大阪産業大学のそれは、中国政府の直営ではなく、提携校だと思われます。
しかし、私立大学の生き残りを賭けたし烈な現場を見た様な気がして、ある意味感動ものです。

このような形の「サテライトキャンパス」は、確か横浜とか各地に誕生しているようです。
大学に来るのを待っているのではなく、大学の方から街に出て行く、そういう動きが今後あちらこちらで出てくることでしょう。
大変歓迎すべき現象です。

昔コザにも、夜間部が充実している大学がありました。
沖大との統合で今は無くなりましたが、「国際大学」というのが有りました。
もちろん昼間も授業は行っていたのですが、この大学のユニークな所は、夜に重点を置いていたことでした。
当然働いている社会人をターゲットにしていました。
まだまだ大学にいくのが大変な世の中です。
復帰前ですから、本土の大学なんて経済的にとても無理な時代です。
自宅から楽に通えて、しかも働きながら学べるのですから、どんなに多くの人が助かったことでしょう。
小さいとはいえ、この大学が中部地域に果たした貢献度はかなり大きいものがあったと思います。

コザから大学が無くなった影響は、実は小さくありません。
街に「智の集積」が有る無しでは、長い時間のスパンで考えても大きなマイナス要因です。
そしてそれは単なる「智の集積」のマイナスだけではなく、若者人口のマイナスをも生んでしまいます。
新しい可能性を持った色んな試みの生まれにくい土地になるのかも知れません。
それは単にビジネスの世界だけではなく、文化芸術の世界にも及ぶかも知れません。
何よりも若者文化の最新情報の発信能力が低くなる街になるかも知れません。

今更コザに大学を作れというつもりはありませんが、しかし、「サテライトキャンパス」ならまだ可能性があるのではないでしょうか。
色んな事情で大学に行けなかった人、そしてこれからもっと学び直したいと思っている人は一杯いる筈です。
そんな人たちの為に、街中に「サテライトキャンパス」を作るというのはどうでしょうか。
大学の設置基準もかなり緩和されたと聞きます。
場合によっては一定水準の家賃を補助してでも、中心市街地にそれを誘致するというのはどうでしょう。
現在でも数々の空き店舗対策予算がでているのですから、不可能なことでは無いと思います。
「智の集積」と街の賑わいの両方を達成する切り札になるかも知れません。
県内の大学が無理なら、目を県外、或いは海外に向けても良いかも知れません。
一校だけでは無く、可能なら複数校を誘致するぐらいの心構えぐらいは持ちたいものです。
大学全入時代が近づいた今こそチャンスな様な気がします。
そして生涯学習がますます盛んになっていく時代を迎えた今こそ、その時期が来たと思います。
街の意思、揺ぎ無い確かな意思が有れば、それも可能だと思うのですが、どうでしょうか。
Posted by 漫遊国 at 18:00 | Comments(0) | TrackBack(0) |

2008年12月16日

バブル崩壊の時訪れた寺へ再び



90年代中頃、僕もバブル崩壊の後遺症で悩んでいる時期がありました。
頭の中は借金をどう返すかで一杯です。
とてもまともな価値判断が出来るような状態ではありませんでした。
その時偶然訪れたのがこの「那谷寺」です。
小松空港への帰路、時間つぶしの予定外の訪問でした。



禅寺らしく、入り口の門も非常に質素な造りです。



入り口を入ってすぐに、僕の中の何かが反応しました。
周りの空気に明らかに何かを感じます。
その前に訪れた永平寺の境内とも何処か違います。



本当に質素な造りのお堂が続きます。
周りの巨木に囲まれたそれらの一つ一つがまるで僕の心を見透かしている様な気がして、だんだん背中がゾクゾクしてきます。



この寺は単なる禅寺ではなく、白山信仰につながる自然信仰の神仏一体の寺なのです。
その時はそんな事に想いがいくほどゆとりがありません。
しかし、二番目の入り口を入った所に点在する、岩をくり抜いたお堂と祠の数々の前を通り抜けたあたりから、或る確信をおぼえます。
そうです、この境内にある全てのものに見られる神々しさ、そして恐さに、僕は気が付きました。
それは、沖縄の御嶽で感じる「恐れ」と共通するものの様な気がしました。



決して広くはない境内ですが、山道を登ったり降りたりする度に、その空間の永遠性が見えてくるような気さえします。
途中出会った巨木に何回も抱きついてみます。
しかし、それも僕の心臓の動悸を収めることにはなりませんでした。
そうなのです、僕は途中から息が苦しくなってきていました。
強烈な、びんびん来るような、何かに射抜かれているような感覚。
出口まで来てまた引き返し、先ほどの岩の祠の入り口の案内所でお経を買いました。
そして今度はちゃんとお参りを済ませます。
再び出口まで来た時には、手のひらがじっとりと汗で濡れています。
背中のゾクゾク感は、バスに乗ってもまだ続いていました。

今年再び訪れたその寺に、あの時ほどではないのですが、やっぱり同じようなものを感じました。
そしてあの苦しかった時を無事乗り越えることが出来たことを報告します。
何か、この寺は、僕の節目節目の時期に出会うとっても大事な場所のようです。
今回も何か大きな縁があったから偶然訪れることになったのかも知れません。
たぶん全国の寺の中で最も僕の好きな場所です。
機会があればまた何度でも訪れてみたい所です。
いい忘れました、この寺は福井県の小松空港の近くにあります。
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2008年11月11日

街とアートの関係の現場を見る(1)



先日、今注目の黄金町バザールの見学に行って来ました。
横浜駅から京急で二つ目の日の出町駅と隣の黄金町駅の間で開催されています。
9月11日から11月30日までの開催ですから、かなりの長丁場です。



二つの駅の間のゾーンを歩いていると、こういう看板にあちこちで出くわします。
しかも、地域浄化対策本部というお巡りさんが何名も常駐している建物まであります。
通りを歩いていると、必ず何名かのお巡りさんに出会います。
他所の地域のアートイベントと違う特異な雰囲気です。



実はこの地域は、売春が半ば公然と行われていた俗に言う青線地帯だったそうです。
不法滞在の外国人も多く、治安もかなり悪い所だったそうです。
そこで、横浜市、神奈川県警の全面的な協力のもと、地域の住民が立ち上がり、売春の一掃に乗り出しました。
24時間の常駐警備はそこから始まったようです。



まだ一部残っている、間口一間程の赤テントの店構え、見たところもう既に営業はしていないようです。
右側は川沿いの桜並木です。
春にはそこを舞台に、大々的に桜祭りが開催されます。



地域の町内会の活動もかなり活発なように見受けられます。
その地域の浄化対策の中から、今回のアートイベントの企画が持ち上がったようです。
文化創造都市を目指す横浜市、そして近年活発な動きを見せている横浜美術館との連携が図られました。
また、横浜国大、横浜市立大、神奈川大等の教授、学生も多数参加しています。
さらに、京急などの地権者も関わっています。
他所と違うのは、そこに県警まで加わっていることです。
まさに、地域の総力戦です。
当然、横浜市、そして京急もかなりの予算負担をしているようで、今回のアートイベントにかける意気込みが伺われます。
また当初から次につなげる事を考えているので、今回のイベントで終わりではないようです。

「地域とアートの共存を通して街並みを生まれ変わらせる」という今回のテーマの重さは、実際現場に立ってみないと分かりません。
ある意味壮大な実験です。
それは、一日二日見ただけの旅人では到底分かり得ません。
表面的なことで判断するのは非常に危うい様な気がします。
というのも、「浄化対策にアートが使われているだけではないか」という意見も、実際に横浜の人から聞いたからです。
排除した人たちがまた川向こうに移っていっただけではないかという意見もあります。
しかし、前の現場を知らない僕には何とも判断に困るところです。
「アートと地域の共存」の難しい命題の現場に立ち会った様な気がして、まだ僕自身うまく整理出来ていない様な気がしています。

次回も続きます。
Posted by 漫遊国 at 09:22 | Comments(0) | TrackBack(0) |