2009年06月02日

祝!前島アートセンター8周年記念パーティーが



えっ、まだ8年、というのが正直な気持ちです。
てっきり10年以上の活動実績を積んできたとばかり思っていました。
現代アートと地域との関わりが全国的な潮流になりつつある現在。
前島アートセンターはその先駆けとも言うべき存在です。
活動の拠点を前島から栄町に移して、そのパワーと存在意義はますます増しています。
パーティー参加者の年齢の多彩さ、職業の多彩さは際立っています。
そして又、活動を支える人も、地元はもちろん県外、外国にまでその広がりを見せています。
まさに、街なか美術館の面目躍如です。



展示スペースでは、大学生のライブ演奏。
これが中々の出来。
現在、県内各大学の学生がワークショップ、ゼミ等でここを頻繁に使っているようです。
古い商店街の空間が彼らにはたまらないようです。



前島の活動に協力しているのは学生ばかりではありません。
琉大、県立芸大の教授、准教授の先生方も一生懸命です。
その日のパーティーのバーテンダーは、先生方とその家族、そして学生。
知の集積の高い「街なか美術館」の素顔を見せてくれます。
現在の前島アートセンターの理事の半数は、大学の先生のようです。
コザにとっての羨ましい事の一つです。



満面の笑みの栄町商店街の理事長。
栄町に移転当初は、恐らく現代アートとは何の関わりも無い人だったのかも知れません。
しかし今では、地元の人と外から来て活動する人の無くてはならないパイプ役です。
前島はそういう多くの地元の人に支えられています。
これも、コザがモデルにすべき良い事例です。



前島アートセンターがここまで地域に認知された要因の一つに、宮城君のキャラも大きかったのかも知れません。
いつも飄々としていて、決して慌てる事のないその姿。
それはどこか弱々しさすら時には感じさせます。
しかし、そこに一本芯の通った強さを秘めています。
外見の弱々しさと芯の強さの両面が、実は多くの人を惹きつけてきた秘密なのでしょう。

前島アートセンターでは多くの人がその主役です。
一人一人の自立した活動の数々がそれを物語っています。
今後もその良き風潮が失われることは無いでしょう。
それが8年間の活動の大きな財産だからです。



宴たけなわのパーティーを、商店街の副理事長の嘉納さんに誘われて途中抜けました。
久しぶりの栄町の飲み屋街。
大学時代に通っていた頃とはもちろん様変わりしています。
しかし、やっぱり、この街は僕にとっても青春の街です。
通りのあちこちに残る記憶の断片、40年近くの時間があっというまに鮮やかに蘇ります。
ちょっと意味不明ですが、まさに栄町は、僕にとっての「青春の門」そのものの様な気がしました。

心地良い、青春のほろ苦さを思い出しながら栄町を後に・・・・

8周年おめでとうございます。
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2009年06月02日

歌声屋台と栄町ナイトバザール



前島アートセンターのパーティーをちょっと抜けて、いつもの屋台へ。
その頃にはちょっと酔いが廻っていて、これからの写真は全てピンボケ状態。
2年前初めて来た頃はそんなにお客さんも多くなかった店も、今は大繁盛。



店主一人でやっていた店に、今ではミュージシャンがバーテンダーに。
頃合を見て、カウンターで歌いだします。
主に、フォークとかの懐かしい歌が中心です。



完全なピンボケ写真ですが、店の雰囲気が良く分かる一枚です。
バーテンダーの歌の後は、お客さん主体の即興の演奏会。
通りの真ん中で、ギター片手に歌いだします。
そして、盛り上がってくると、皆で合唱。
往年の歌声喫茶と何処か似てきた様な雰囲気がかもし出されます。
客層はというと、殆どが地元の人間で、しかもその日は中高年主体。
しかし・・・・



僕らが歌声で盛り上がっている横の路地で、何やら怪しい動きが始まりました。
何人かの若い人達が、小さなテーブル、そして地べたに、次々と商品を並べていきます。
最初は、屋台でも始めるのかと思っていましたが、どうやらフリーマーケットの模様。



総勢7~8名ぐらいの若者が次々と店を開いていきます。
この写真の時は、お客さんはまだぼちぼちという感じだったのですが、その後・・・
僕らが歌声に気を取られている間に、ぞくぞくとお客さんが詰め掛けてきました。
しかし、狭い路地ですから、その数が実際にはそんなに多くはなかったのかも知れません。
そこは喧騒に溢れているというような雰囲気ではなく、静かな、どこか走馬灯がぼんやりと輝く様なゆったりとした趣きの空間です。
屋台の歌声とその静かな空間のかもし出す雰囲気が、うまい具合に調和しています。
薄暗い路地の雰囲気がそうさせているのでしょうか。
路地の使い道の新たな提案をそこに見ました。



左が、このナイトバザールを主宰している方。
先月からの試みのようですが、ゆくゆくは台湾の「夜市」のようなものを目指しているとのこと。
当面は月一の開催のようです。
基本は、手作り商品の販売で、どこかのようにとにかく何でもありというわけではありません。
その場に感じた温かい雰囲気も、きっと其処から来たのでしょう。
何よりも若い人達が自主的に始めた事が素晴らしいことです。
まだ二回目ぐらいの開催のようですが、おそらく今後定着していきそうな気配を感じました。

商店街に、年齢層、担い手、その他の重層的な、複合的な要因が現れてきているのは面白い現象です。
それが又栄町に、新たな魅力を付加することになりそうです。

コザのモデルをまた一つ発見した夜でした。
Posted by 漫遊国 at 07:00 | Comments(0) | TrackBack(0) | その他

2009年05月16日

アート的な作品を二つ



人体の一部の様な、光の溢れる映像。
柔らかい光の影には、肌色とおぼしき色彩。
その緩やかな曲線にどこかエロスを感じます。



一転、ここの光は、闇の空間に遮られながらも、中心部分でその存在感を示します。
しかし、それもやがて闇に飲まれていくのでしょう。
消えかかる光の最後の輝きが、暗い空間の中で薄いグリーンを浮かび上がらせます。
不思議な、光と空間の織り成すどこか怪し気な世界。
Posted by 漫遊国 at 07:00 | Comments(0) | TrackBack(0) | その他

2009年04月27日

ゲゲゲの鬼太郎はヤンバルに何回来たか?



辺土岬近くの急峻な岩山。
到底大木が生える様な環境には見えません。



しかし、その中腹には亜熱帯の深い森が広がっています。
この木漏れ日の中に見える無数の木の実は、恐らく猪の餌になっているのかも知れません。
所々「猪に注意」の看板が見受けられます。



下が石だらけというような環境でも、ガジュマルはたくましく育ちます。
垂れ下がった支根はやがて硬い地面にしっかりと根を下ろします。
もはや、本来の幹がどれだったか判別がつきにくくなります。



やっぱりというか、この不思議な森は、妖怪の映画の撮影には最適なのでしょう。
途中の深い森の中のガジュマルの大木の前にこういうような看板がありました。
映画の仕上がりがどのようになっているのかは知りません。
しかし、亜熱帯の森を見た事のない人には、この木の形はCGで作られたものと映るのかも知れません。
或いはセットと。
しかしこの森の中には、同じ様な大木が何本もあります。



この大木もいかにも妖怪が宿るような雰囲気に満ち満ちています。
亜熱帯の森は、地盤の固さと台風、潮風の影響で、真っ直ぐ上へ上へとは伸びてくれません。
しかし、その生命力の強さは、けた外れに大きいものです。
この木の幹によったシワの数々がそれを物語っている様な気がします。

さて、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者の水木さんは、「キジムナー」を求めて、ヤンバルに何回も足を運んでいるようです。
狙い通りにキジムナーに出会えたかどうかは分かりませんが、この森を見ていると、まさにキジムナーが出てきてもおかしくはありません。
この一帯が昔、首里王府の聖地、或いは霊地だったというのも頷けるとこです。

沖縄の同じ様な森の殆どが御嶽(うたき)になっているというのも、昔の人がそこに何らかの霊気を感じたからかもしれません。
あまりり荒らさずに大事に守っていきたいものです。
Posted by 漫遊国 at 08:00 | Comments(0) | TrackBack(0) | その他

2009年04月20日

うりずんの花二題



先日久しぶりにヤンバルに行きました。
桜、ツツジ、イッペーも終わり、デイゴが咲くにはまだちょっと早いこの季節。
しかし、ヤンバルには見事なお花畑がありました。
最近ブレーク中の紫の花。
「オクラレルカ」というそうです。
菖蒲の仲間のようですが、イグサの田んぼだった所で咲き誇っているその様はまさに圧巻です。
桜やツツジのピンクとも、あるいはイッーペーの黄色とも違うその紫色は、周りの山々の緑との対比が優しい趣きをかもし出して美しい。
しかも、田んぼの無くなった中部の人間にとっては、狭いあぜ道を歩くだけで、思わず郷愁にかられます。



案山子の表情もどこか優しい趣きです。
場所は、大宜味村喜如何(きじょか)集落のすぐ後ろです。
一束100円の花束が人気です。
いつまで開花しているか分かりませんが、まだ間に合うと思います。



そしてこちらは、白一色の鉄砲ゆりの群落。
沖縄市の東海岸にある県総合運動公園内の百合畑です。
伊江島の広大なユリ畑には到底かないませんが、しかし、ここは身近なユリスポットとしてお勧めの所です。
運動公園の東側の展望台のある丘です。
ただし、ハブ注意の看板があちこちにあります。
くれぐれも繁みの中には入らない様にした方がよさそうです。
Posted by 漫遊国 at 20:00 | Comments(0) | TrackBack(0) | その他

2009年03月28日

倉敷音楽祭を終えて(1)



久しぶりの更新です。
先週無事終わった「倉敷音楽祭」の僕なりのレポートです。

終わってみると、余りにもあっけないような拍子抜けするような寂しさにとらわれます。
英語には「祭りの後」というニュアンスの語彙は無いとのことらしいですが、倉敷でそれに近い言葉をロバートさんから教わりました。
「アフターフエスティバルシンドローム」というのがそれに近いようです。
確かに、昨年の予期せぬ出会いから始まった今回の祭りのプロジェクトを改めて考えてみると、まさに「シンドローム」という言葉は的を得ているのかも知れません。
全然見ず知らずの人間が、たった一回の出会いから熱くお互いの街を語り合うなんてことが実際起きてしまった訳です。
それが今回の音楽祭に結びついた切っ掛けになるなんて誰が予想出来たでしょうか。

22回を数えた倉敷音楽祭を新しい視点で見直そうという財団の方針など知る由もない僕らでしたが、気が付けばいつの間にか同じ土俵に上がっていました。
しかし、「コザ漫遊国」という或る意味変な集団、NPOを名乗ってはいても、倉敷からすると得体の知れない集団に映っていたことは間違いのないことだったと思います。
その団体にイベントの一部を任そうというのですから、恐らく財団の内部ではかなりの軋轢があったことだろうと思います。
それを押し切った中務さん、森さんの二人の情熱と、そして何よりも財団幹部の方々の理解が無ければ到底実現は不可能だったと思います。
そのことに倉敷の人々の懐の深さを感じます。
終わってみてよくよく考えると、中務さんは今回のイベントに自分の首をかけていたんだということを感じさせられました。
改めて深い感謝です。

写真は、財団常務の土師さんと樫尾さんそして今回僕らとの橋渡し役をしてくれた中務さんです。
歓迎会の時の一コマですが、この時は、翌日からの怒涛の三日間のことは誰も予測していませんでした。



さて、変な集団の「コザ漫遊国」を強力に後押ししてくれたのは、実は沖縄市でした。
市長、副市長、屋良室長、そして町田(旧姓)さんを初めとした多くの役所の方々の協力が無ければ不可能だったと思います。
別に今回役所から補助金を貰った訳ではありませんが、「コザ漫遊国」の認知度の証明になりました。
中務さんが、コザでの役所と市民の距離の近さを驚いていましたが、それが今回のイベントの影の大きな力になりました。
最初の倉敷視察に同行してくれた屋良さんと町田さんには特に感謝です。
民間と行政のそれぞれの持っている力を寄せ合った理想的なモデルの様な気がします。
今後もその方式の有効性は色んな所で生かされるべきだと思います。

写真は、歓迎会での東門市長です。
交流が大きなテーマの一つの今回のイベントで、市長が同行してくれた意義は大きいものがあったと思います。
改めて感謝です。



歓迎会での「漫遊国」メンバーのちょっと緊張した様子の写真です。
実は今回のイベントは、或る意味冒険だったと思います。
それは倉敷側にも言える事ですが、僕らにとっても全く予測不可能な前例の無いイベントでした。
どれぐらいのお客さんが来てくれるのか、全くといって良いほどデータがありません。
しかも県外ときています。
食材の手配も限られています。
案の定、翌日から怒涛の三日間になりました。
今回のプロデューサーの古嶺さんの的確な企画で、現地での段取りは概ね順調だったのですが、予測不可能なことが次々と起こります。
飲食の三つのブースには、朝10時前から延々長蛇の列、沖縄では考えられない朝の早さです。
泡盛も朝から売れるのにはビックリです。
シアターでのコンサートは、11時頃から入場制限がかかり、僕らも様子見すら断られる始末。
余りの盛況ぶりに、初日は誰も朝食、昼食抜きです。
やっと食事にありつけたのは、昼も3時を過ぎてからです。

それにしても、僕らの誰もが感じたのは、倉敷の人の優しさでした。
長い列でじっと待って居てくれて、売り切れの足切りをしても文句一つ言いません。
改めて、歴史と文化の街の奥深さと懐の深さを感じさせられます。
街の持つ文化力を強烈に感じさせられた体験でした。

それにしても、今回のイベントでは多くの事を学ばさせて頂きました。
その一つは人間力でしょうか。
倉敷の人間力はもちろんですが、「漫遊国」の人間力にも驚嘆しました。
自費で参加してくれた花城先生、役所の屋良さんを初めとした多くのメンバーの力。
そして何よりも、わざわざ奈良、大阪から駆けつけて飲食ブースで活躍してくれたまゆちゃん、あやのちゃん、大橋さんには大感謝です。
貴方方の力が大きな励みになりました。
コザクラでの再会を楽しみにしています。

久しぶりの更新で長くなりましたが、僕の倉敷レポートはまだまだ続きます。
次回をお楽しみに。
Posted by 漫遊国 at 12:06 | Comments(1) | TrackBack(0) | その他

2009年02月14日

今年のソメイヨシノの開花は早まりそうです



沖縄の桜、北部ではもう既に葉桜になってしまい、今は南の方で満開を迎えているようです。
沖縄市の桜の名所の市民会館も殆ど葉桜状態だと思います。
この写真は先週のものです。



そして金曜日に海洋博公園で見かけたイペーの木。
既に開花しています。
今年はえらい早いな~と思って写真を撮ったら、何のことは無い、名護では既に満開の木すらあります。
驚きです。
こんなに早い開花は最近では無かったと思います。

沖縄のイペーの満開の時期は、ここ数年の例でいうと、東京のソメイヨシノのそれと殆ど同じだったのです。
ただ、イペーの咲いている時期はソメイヨシノより長いので、単純な比較は難しいのですが、それを割り引いてもほぼピッタシでした。
ということは、今年は、東京、そして本土の桜の開花は、去年よりかなり早まりそうです。
恐らく、10日前後は間違いなく早まる事でしょう。
その根拠はというと、実は極めて合理的な理由です。
新暦ではなく、旧暦で考えると当たり前のことです。
実は、今日は旧暦でいうと20日です。
日常的に旧暦を使っている沖縄の人間からすると、もう既に春なのです。
何故正月を、新春とか初春という言葉で表すか、そして中国、韓国で「春節」というのでしょうか。
それは全て旧暦に基づいた季節感覚だからでしょう。
新暦では正確な季節感覚が麻痺してしまいます。
アジアの植物の生態には旧暦がピッタリなのです。
今年は例年に比べて旧正月が早いので、当然春が早く来ます。
もちろん桜の開花も早まります。

沖縄のヤンバルの森の新緑の季節も既に終わっています。
昨日のヤンバルのドライブでそれを発見しました。
そしてイペーの開花です。
改めて旧暦で季節を考える事の素晴らしさに気付かされました。

これから本土に花見ツァーに行く事を考えている人は、去年よりちょっと早めの時期を選んだ方が良さそうです。

そして今年は、旧暦の閏年です。
5月が二回あります。
5月が二回も有るということは、雨の時期が長く続くと昔から言われているそうです。
恐らく、梅雨明けは遅くなるかもしれません。
前回のその時は、全国的に梅雨末期に集中豪雨が来たような記憶があります。

今回もそうなるかどうかは保障の限りではありませんが、とにかく、季節を旧暦で考えるということを少しは考慮して欲しいものです。
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2009年02月06日

キジムナーと遊ぼう



活発な活動を続けているあげだ児童館。
銀天街まつりにも毎回子供たちが出演してくれています。
その児童館の「あげだ絆まつり」が今週土曜日に行われます。
プログラムが盛りたくさんです。
親子で参加するには最適だと思います。



Posted by 漫遊国 at 13:20 | Comments(0) | TrackBack(0) | その他

2009年01月28日

兄の涙に



結婚披露宴でのスピーチに感動させられるものというのは意外に少ないものです。

昔、ある知人の子供の披露宴に招かれた時、参加者のスピーチの数々に感動したことを今でも思い起こします。
実は、結婚式の直前に知人の会社は倒産。
普通に言うと披露宴どころではない状況ですが、そこで周りの人たちが動きました。
兄弟はもちろん、新郎の父の友人が動き、何とか当日を迎えることが出来ました。
披露宴の当面の資金も銀行が融資してくれました。
しかし倒産した直後だけに、本来なら会場に入れないぐらいの招待客があった筈ですが、直前に数を絞り込まざるをえませんでした。
そのため、150人ほどの会場の殆どは、身内か本人達の友人。
父親の友人は僕を含めて数えるほどです。
あれだけ多くの人に慕われ、色んな役職も経てきた人にしては信じられないぐらいの数です。
本来ならばそうそうたる人間が居並ぶはずだった会場、少し寂しい想いがしました。

しかし、披露宴が始まると空気は一変しました。
会場の皆が、置かれている状況を共有していました。
そこにあったのは暖かみそのもの、父親の苦境が逆にバネになって、会場の皆の気持ちを一つにしていました。
余興にしろ、スピーチにしろ、どこか通常の披露宴とは違う空気が漂っています。
会場全体がほんわりとした暖かい雰囲気です。
騒がしいことの多い沖縄の結婚式ですが、その日ばかりは違いました。
皆で祝福するという気持ちが、静かな中でも満ち満ちていたのです。
最後の本人達の挨拶、そして父親の挨拶にも、飾らない素直な気持ちが込められていました。
思わずジーンとくる感動を覚えると同時に、その場に居合わせた幸せを感じました。
そんな感動を覚えた結婚披露宴は経験がありませんでした。

先日の「もりまり入籍記念パーティー」の時の貞夫さんのスピーチに、その時感じた感動と同じようなものを覚えました。
自らの人生、そして歴史、妹に向ける気持ちを、あれほど素直に飾らずに語った言葉は聴いたことがありません。
彼とは長い付き合いですが、考えてみると、お互い余りプライバシーの事は話してなかったと思います。
コザの人間はたいていそうかもしれませんが、あまり個人のプライバシーをねほりはほり聞かないものです。
良い意味での個人主義というものでしょうか。
だからこその感動がその時にあったのかも知れません。
彼との付き合い始めから、その飾らない姿に大いに共感を覚えていたのですが、それが決して間違いでは無かったという事を確信しました。
良い兄貴を持った妹とその伴侶の森口君は幸せです。
末永い幸せを、その時の会場の皆と共に祈りたいと思います。
おめでとう。
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2009年01月27日

街の路地の魅力は?



さすが京都とうなった先斗町のどこまでもまっすぐ続く路地の光景。
和服の女性とすれ違っただけで京都の空気を感じました。
通りは隅々まできれいに掃除が行き届いていて清潔そのもの。
歴史と伝統の風格を感じさせてくれる京都らしい美しい路地の代表でしょうか。



ここは栄町の迷路の様な路地の一つ。
写真を撮った僕でも、ここがどの辺りだったか思い出せません。
栄町に通い始めの頃は、何度も道に迷いました。
もうすっかり慣れたと思っても、行く度に発見があります。



もうこういう様な街、そして路地は絶対に作れません。
何しろ、建築基準法、消防法がその前に大きく立ち塞がります。
たかだか60年ぐらいの歴史しか経てきてない街ですが、その価値は或る意味世界遺産に匹敵するかもしれません。
そしてそこには、地域の財産である「世間遺産」がたくさん眠っています。
何よりも、生きている人間がいるのです。
そこには、名も無い人間の営みの歴史そのものが息づいています。
文化、都市文化というものはそういう所から育まれるのでしょう。



アーケードが撤去される銀天街ですが、栄町と同じような価値を持っているのは言うまでもありません。
しかし、がらっと変わっていくであろうその光景に、ある種の不安を感じます。
撤去の後の再生プログラムがうまく機能するかどうか、皆の知恵が試されます。
再生のつもりが、単なる破壊の始まりに過ぎなかったということにならない様にしなければなりません。
銀天街の路地の刻んだ来た歴史と、そこに生きてきた人の歴史が正しく伝わる様な空間が求められます。
「世界遺産」と言うような大それたものではなく、せめて「コザ遺産」、或いは、「沖縄市の中のコザ遺産」という様な位置づけが必要かもしれません。
都市の歴史と景観は、市民の財産なのですから。
そういう視点からの発想が銀天街再生のキーワードになりそうです。
Posted by 漫遊国 at 08:00 | Comments(4) | TrackBack(0) | その他

2009年01月26日

何だこりゃー写真3連発



個人情報保護の為にわざとぼかしているのではありません。
動きが激しくて、僕の携帯画像ではこうなってしまいます。
ふだん静かな漫遊国議長ものって来るとこうなります。
コンサート終盤、配られた紫色のタオルを激しく振ります。
ここは那覇の「ライラ」、昔沖縄ジャンジャンだった所。
3月の「倉敷音楽祭」に出演する「ジュン・ヤマムラ」と創作エイサー集団の「美らさ」のジョイントコンサ-トの時の模様です。



100名近く入る会場は、年齢層も多彩。
大阪から来た女性グループの追っかけさんもいます。
漫遊国メンバーは総勢7名。
久しぶりの那覇でのライブに、ある種のカルチャーショックを受けます。
やっぱり何やかんや言っても那覇は那覇です。
コザのまったりした時間とは全然違う時間が流れている感覚です。
国際通りが沖縄だというのを或る意味信じられない様な不思議さを覚えます。
同時に、コザの特性をもっと見つめ直さなくてはいけない気持ちにさせてくれます。
それは、街の造りにしてもそうですが、こと音楽に関しても言えるかも知れません。
音楽の街を目指しているといっても、それが変な独りよがりに陥らない様に心がけるべきでしょう。
エイサーにしても、今盛んになりつつある創作の部門を無視することがだんだん難しくなるかもしれません。
その上で、コザでしか出来ないことをもっと考える事が必要です。



3月の岡山倉敷での音楽祭の大きなテーマは沖縄です。
「残波大獅子太鼓」、「肝高の阿摩和利」、照屋政雄、前城守賢さん等の島歌グループ、そして漫遊国プロデュースの「東青年会のエイサー」と「ジュン・ヤマムラ」と「美らさ」のジョイントコンサート。
古いものと新しいものがごっちゃ混ぜです。
地域の芸能文化というと継承が重んじられる傾向が強い中、沖縄のそれは、日々進化を遂げている現在進行形です。
倉敷という古い伝統と格式の色濃い街で、それがどう受け止められるか楽しみです。
23回目の今年、その大胆なプログラムの持つ意味は、倉敷にとっても、そして沖縄側にとっても決して小さくはありません。
その事を考えつつ深夜那覇を後にしました。
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2009年01月17日

貴方がいたから優しくなれた



金曜日、銀天街屋台村週末ライブで歌う神響の二人。
いつもながらの澄み切った歌声が皆を魅了します。
夫婦デュオの呼吸の合ったハーモニーに、何人の人間が泣いたことでしょう。



作詞をした本人に直筆で書いてもらった歌詞の出だしです。
メロディーが優しく、単純で分かり易く、素直に、聴く人の心に届きます。



夫婦のハーモニィーはあくまでも優しく、そして聴く人の胸に響きます。



これほど素直な歌詞は最近の歌では珍しいと思います。
何処かで自分を嘆いて見せたり、悲しんで見せたりと、明らかに他人を意識しながらの自己表現が目立ちます。
本当の自分を見つめているのか、はなはだ疑問に感じます。
単に受けを狙った薄っぺらな内容で、素直に見えて実はそうは感じられないものが多すぎます。
昔の「歌」の世界から、今はサゥンドの世界です。
言葉に重みがありません。
ましてや、メロディーと言葉が調和、いや、響きあうということが稀になった世界です。
その中で、このような単純で素直な歌が今後のトレンドではやりそうな気がします。

最近言葉の力を改めて感じさせてくれたのは、記憶に新しい「千の風に乗って」だと思います。
分かり易く、素直に響くその言葉には、人の心の奥にまで届くメッセージがありました。
そして、聞く人それぞれに様々な想いを喚起させてくれました。
一人一人がそれを自分の言葉として捉えていたのです。
その時から、それはもう作詞者の手を離れて、一人一人の心の歌になったのです。

神響の二人のメロディーと言葉にも、何処か本人達の元を離れて、色んな人のものになっていくようなところがあります。
言葉とメロディーの調和と言うと簡単です。
しかし最近、それが余りにも失われてきている時代です。
その原点に二人はいます。
是非今日土曜日の銀天街まつりで、直に聴いて確かめて下さい。
二人の出演時間の予定は、夜の8時頃です。
場所は、銀天街メインアーケードの通りです。
お待ちしています。
Posted by 漫遊国 at 05:01 | Comments(3) | TrackBack(0) | その他

2009年01月13日

成人式に思う



今年の新成人は133万人ということですが、団塊第一世代の僕らの時は確か230万人を越していたと思います。
100万人も減ってしまっている分けで、まさに日本社会の高齢化が凄いスピードで進んでいることが伺えます。

僕らの成人式の時代はまだ沖縄が日本復帰をする前です。
1ドルが360円で、大卒の初任給が70ドルぐらいの時です。
本土に行くにも船が当たり前で、飛行機なんてとんでもない時代です。
もちろんパスポートというめんどくさいものも有り、さらに身元引受人も必要でした。
しかも、反米的な人間にはパスポートの発給をわざと遅らせたり、場合によっては発給しないということも公然と行われていた時代です。
当然、当時の沖縄の人間の政治的、社会的な問題に対する関心は今とは比べ物にならないくらい高いものでした。
復帰運動のデモにもたいていの人が参加した経験を持っている筈です。
選挙の投票率も80~90パーセントというのが当たり前です。
米軍の支配下にあるからこそ、住民の自治意識は今とは比べ物にならないぐらい高いものでした。
むしろ、中央集権官僚国家の本土より住民民主主義が根付いていたかも知れません。
何しろ、今の東南アジアに見られるように、議会を包囲して法案を廃案に持ち込むという様な、ある意味過激なことすらやっていたのです。
逆説的に言うと、植民地支配下の直接民主主義の様な時代です。
むしろ今より自治はあったのかも知れません。
それは、一つ一つ住民運動でかち取ってきたものでした。

そういう時代を経てきた僕らから見ると、今の閉塞状況の只中にいる新成人にどこか同情を禁じえません。
社会的な運動が起きるには余りにも世の中が醒めています。
眼に見えない構図の中で、自分の立つ位置がはっきりとは掴めない事でしょう。
何よりも、コミュニティーの崩壊とグローバル経済の渦の中の不安定さに、どう対処していいのか分かりにくくなっています。
成熟社会の中での格差問題が重くのしかかってきます。
特に、今後の雇用の問題はそれをますます広げることになるかも知れません。

しかし、社会の理不尽さに声を上げる動きが、当の若い人達からあまり出てないということは問題です。
年金問題にしろ、雇用の問題にしろ、ある意味ワイドショー任せではないですか。
これでは、グランドデザインを持たない政治家と官僚の思う壺です。
昔の学生運動を持ち出す気は今更ないのですが、余りにも現在の大学生の社会運動、政治活動が形になっていません。
街頭に出て、示威行為ぐらいはやって当たり前だと思うのですが、その組織化も難しい時代なのでしょうか。
日本人はある意味、民主主義を経験しないまま成熟社会に移行してしまいました。
戦後殆ど無傷で温存された明治以来のシステムから完全に抜け切っていないのです。

韓国、タイ、そしてヨーロッパの様な何らかの直接行動があっても然るべきです。
政治家が世襲化して、粒の小さい人間しか出てこなくなった今こそ考えるべき時なのに、余りにもワイドショー化しています。
このままでは、日本の民主主義は後世、「ワイドショー民主主義」という名前を付けられることになるかもしれません。

既に60歳を過ぎた僕も、ある意味日本の政治に醒めた目を持っています。
沖縄が復帰して以来、日本が本当にに民主主義国家なのか分からなくなりました。
若い時僕らがやってきた復帰運動とは何だったのか、疑問に思うと同時に、一抹の後悔の念にも駆られます。

そんな僕らが、若い人に幾ら何を言っても説得力が無いのは分かっています。
しかし、若い人が自らの問題として捉えない限り、日本は良くならないかも知れません。

とうとう100年に一度という世界的な危機が来てしまいました。
半年でそれこそ世の中ががらっと変わるという経験は、沖縄の復帰の時経験していますが、今回のそれは全然違う構図です。
ベルリンの壁が崩壊した時に匹敵するか、あるいはそれ以上の歴史的な出来事です。
個人の生き方、責任が一人一人に重くのしかかる時代になります。
今後の世界の動き、日本の動きにもっともっと関心を払うべき時が来ています。

冒頭の写真は正月に撮ったもので、雲の切れ目から差し込む太陽の光に、何らかの希望を感じました。
成人式を迎えた人たちの頭上に、その様な希望の光が満ち満ちて輝くことを祈ります。
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2009年01月08日

ハブは冬眠するか?



一口にハブといっていますが、その種類も様々。
写真にある台湾ハブは元々沖縄には居なかったはずですが、今ではヤンバルでも見かけることになり、すっかり沖縄に定着。
最近では、元々のハブとの雑種も誕生しているようで、その毒性と性格の凶暴性にも注意が必要なようです。
しかし、銀天街の大谷さんの話によると、ヤンバルではむしろハブが減っているそうです。
今多く見られるのはヒメハブだそうです。
このままでは、本来のハブを天然記念物に指定する日が来るかもしれないとのこと。



このハブも元々沖縄本島には居なかったものです。
同じようにハブとの雑種も誕生しているとのことらしいです。



本土の蛇の殆どは冬眠すると思いますが、沖縄のハブは冬眠しないそうです。
つい最近まで僕らもてっきり冬眠するとばかり思っていました。
だから、冬の山歩きは安全だと思っていました。
これからの桜の季節、藪に入る時はご用心です。



その時の強い見方がこれ、「ハブノック」。
3メートルの有効射程距離を持っている優れもの。
メイクマン等で売っているそうです。
ちなみに、昔キャンプでテントの周りにまいた硫黄は、ハブには何の効果もないそうです。
ハブに関する間違った言い伝えは結構あるようで、改めて勉強になります。

しかし、ハブもヤンバルの生態系の貴重な一員です。
お互いの領域を必要以上に侵さないような行動も大事なことです。
ましてや、外来の蛇を逃がしてしまうなんてことはそれこそハブにとっても人間にとってもはた迷惑です。
それが凶暴性を帯びた生き物に進化してしまう可能性を考えたらゾッとします。

ハブが天然記念物に指定される日が来ない事の方が、ヤンバルの森がまだ生きている証しです。
ハブの害を防ぎながら共存を図っていくことが望まれます。
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2009年01月08日

第二自衛隊創設で200万人の雇用を(日経新聞から)



1月6日の日経新聞に面白い記事が載っていましたので紹介します。
筆者は中前国際経済研究所代表の中前忠氏。
現在の雇用情勢のアンバランスの打開と将来の成長産業の育成の為の国営事業の有効性について論じた短いコラム。

自衛隊と聞くと拒絶反応を示す方も多いと思いますが、中味は全然違います。
雇用のミスマッチを解消する為の、規律と職業訓練に重きを置いた組織。
人手不足でありながら雇用吸収能力の無い分野に重点的に人を配置します。
高齢化の進む農業、漁業、医療、介護等がその主な分野になりますが、そこで大事なことは、それを単なる一時的な単純労働で終わらせる事無く、質の高い職業訓練も併せて行うことです。
それによって将来の成長産業を生み出す可能性を見つけていきます。
派遣切りが続出している当面の雇用情勢を改善し、内需の拡大にも多少なりとも貢献することが期待されます。
また、限界集落の解消にも、知恵を絞れば有効な手段かもしれません。
そこから地域再生に向けた新たな社会的企業の誕生があるかも知れません。

ケインズ的な公共事業に一兆円を投じても何人の雇用を生み出すか分からないと、中前氏は言います。
産業構造の変化が読めないからです。
多くの場合は、成熟産業の延命策に使われるだけかも知れません。
そして今国会で論議されている定額給付金の効果も非常に限定的なものにならざるを得ません。
2兆円も国家財政を出動させるぐらいだったら、まずは直接雇用で労働需給の改善を図ることに使うべきです。
一時的な給付金でごまかすのではなく、もっと大胆な政策が必要な筈です。

中前氏は第二自衛隊の様な組織という言葉で、強力な国家の関与の必要性を論じましたが、論旨を発展させるともっと面白い事が一杯出てくるような気がします。
一人200万円の給与の負担は国にやって貰うとして、その使い道、職業訓練のプログラム、雇用分野については、大胆に地方に任せてしまうということも考えられます。
その地方の戦略分野の人材を育てると同時に、地域の雇用の需給情勢の調整が欠かせないからです。
全国一律では中々実効性に乏しいものになるかも知れないからです。

現在でも様々な雇用対策の為の予算はあります。
それとうまく組み合わせれば、中前氏の言う様な緊急性と将来の成長産業の創造につながる二つの目標が見えてくる様な気がします。

単なる人気取りに2兆円も使う愚を犯すより、大胆な雇用対策に使う方がよっぽど国民の支持が得られると思います。
派遣切りの現実が見えないのでしょうか。
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2008年12月29日

街を魅力的なものにするには?



土曜日に行われた「百匠一起」最後のプログラムは、藤浩志さんによる「まちつかいゼミ」でした。
約25名ぐらいの参加者があり、なかなか充実したものでした。
参加者の年齢も職業も様々、話を聞くスタイルもご覧のようにフランクさそのものです。
寝そべっている人もいます。
しかし内容はというと、藤さんの実体験からくる報告、そして会場との討論にも真剣さが溢れた緊張感を伴うものでした。



去年も語られたそうですが、このパプアニューギニアの山犬にまつわる話は面白いものでした。
ふだんいつも腹をすかして歩くのもやっとの山犬が、猪狩の時には村人に協力して豹変。
それを見た藤さんは涙を流すほど感動。
それは、何でも無いと思われていたものが、突然、或るエネルギーを得て光り輝く瞬間。
まさに、アートが、何でもないものを凄いものにする時の感動、そこに通じるものがあるかも知れません。
街とアート関係を何処か意味しているみたいで感銘を受けました。
しかし藤さんの凄いところは、そこからさらに発展させて考えることです。
実際体験した記憶すら疑うその姿勢、そこにいつでも自らの原点を見つめる厳しさを感じました。



しかし、藤さんが大事にしていることは、如何に色んな方に関わって貰うかです。
自分でやり過ぎないことが大事なことだと言います。
「完璧な人の周りには人は集まらない」ということを認識する事も必要です。
それを言われたとたん、思わず皆林君の顔を見ます。
そうかも知れません。
一見頼りなさそうな林君だから、その周りにたくさんの魅力的な若い人が集まって来ているのでしょう。
そして、街を魅力的なものにするには、何よりも魅力的な人が集まることです。
そしてその魅力的な一人一人の因子が、又次の予期せぬ因子を生んでいく、そのプロセスにこそ面白いものがあると藤さんは言います。
それには、街のチャネルを何時でもオープンにして置き、そのプロセスを楽しむことが重要だということです。

ファンタジックな街、予期せぬ人と出会い、予想もしないことに出会い、次々と物語が生まれる街。
アートは最初の小さい因子だったかもしれませんが、それが連鎖反応的に多くの因子を呼び寄せ、そこに色んなツールが生まれていきます。
そしてそこから初めて、地域自ら自主的に動く仕組みがインプットされていきます。
何よりも、先ずいじってみる、そこから予期せぬ面白い現象が起こり、ツール、そして仕組みへと続いて行きます。

藤さんは、昨年はアートプロジェクトの始まる前に来て滞在制作しましたが、今年はわざとプロジェクトが終わった頃を見計らってやって来ました。
たぶん、去年と今年銀天街がどう変わり、そして人がどう変わったかを見極めたかったのでしょう。
期待に添えたかどうかは自信がありませんが、しかし、藤さんと再会して、僕らは確実に去年と変わったことを実感しました。
藤さんの話を去年聞いたとしても、今年ほど理解は出来なかったと思います。
初めて聞く人の為の過去の活動報告は、去年も確かに同じようなことを聞いた筈ですが、受け止め方は去年とは全然違いました。
今年の銀天街の街づくりの進化、そして藤さん言う所のたくさんの因子の広がり、それがたぶん僕らを変えていったと思います。

色んなことがあった一年でしたが、藤さんの話を聞いて、改めて大変な、そして意義の有る一年だったと思いました。
多くの方に感謝です。
Posted by 漫遊国 at 15:36 | Comments(0) | TrackBack(0) | その他

2008年12月12日

バブル崩壊から学んだこと

先月「風が吹けば桶屋も損をする」というタイトルで書いた事が、現実の事となりました。
アメリカ式金融資本主義の崩壊は世界中に波及、とうとう製造業のみならず、色んな業種をも巻き込んでしまいました。
あれほど好調だった雇用情勢も一変、失業率の高止まりがあと何年かは続きそうな様子です。
年明けには、コザの農連市場隣の職安が混雑でパニック状態になるかも知れません。

バブルの時もそうだったのですが、景気の変動の波が沖縄に押し寄せるにはちょっと間があります。
今回の件で沖縄の人間がその激変を実感するのは、恐らく年明け以降でしょう。
まず雇用情勢の変動で、本土から帰ってきた失業者が溢れる状態が起こります。
もちろん、3月卒業の新卒者の行くあても無くなります。
そして好調だった観光産業への打撃が心配されます。
急激な円高で海外との激烈な競争にさらされます。
既に東京では格安パック料金の海外ツァーが好調です。
沖縄の競争相手は、韓国、中国、グァム、サイパン、ハワイです。
それらの地域に価格面で勝てるでしょうか。
価格だけでない付加価値の創造を積極的にやってきたかどうかが試される一年になりそうです。

さて僕らは、あのバブルとその後の失われた10年を体験した当事者です。
あの熱狂の真っ只中に身を置いて、ずいぶん苦い思いもしました。
それは金の問題だけではなく、人間関係そのものにも及ぶ苦しい体験です。
人によっては家庭崩壊をも招いた、地獄の時だったかもしれませんし、事実多くの自殺者が出ました。
社会全体がその後遺症を克服するには実に長い時間を要したものです。

そのバブルの崩壊から僕が学んだのが幾つかあります。
先ずはとにかくコツコツ一生懸命に働くこと。
昼夜問わず、期限を区切ってもよいから、或る一定期間一生懸命に働いてみること。
その中から何かが見えてきたらしめたものです。
いやきっと見えて来る筈です。
今まで見えて無かった自分の原点、社会の原点の様なものが。

しかし、その原点に立ち返るのを一番邪魔するのが、実は自分なのです。
多くの自殺者の例を見て思うのですが、自分を捨てきれない、しがらみを断ち切れない。
人間は、何年も生きていれば、当然色んな衣をまとってしまいます。
それがその人の人生の軌跡そのものなのですが、しかし、それはあくまでも衣をまとった状態に過ぎません。
ある意味、その衣がその人を縛っています。
危機に差し掛かって、立ち直ろうとする時、その衣を脱ぎ捨てる勇気、発想の転換が出来るかどうかが勝負です。
プライド、それは非常に大事なものですが、あるひと時、それを捨ててみる勇気が必要な時があります。
多くの自殺者の悲しい例を見ていると、実はそれこそ一番難しいことだと思います。

暗いことばかり書いて申し訳ないのですが、これからますます激変しそうな状況に、あのバブル後に起こった事が重なってしまうからです。
あのバブルの教訓がないがしろにされ、皆が原点に立ち返る気持ちが薄くなった時、今回の金融崩壊が起きてしまいました。
あの時の教訓はたくさんありました。
プライドの問題もそうですが、要は、皆が身の丈にあった生活、人生を心がけることの大事さが一番です。
無理してお金を借りない、無借金を目標にするぐらいの覚悟が必要です。
そしてこういう時代の教育の問題も真剣に家庭で論議する必要があります。
デフレと国際競争の中で生き抜く人材育成とはどういうものか、社会全体で考慮することが大事です。

単に流れに身を任すでけでは済まない世の中、一人一人の知恵が試されます。
Posted by 漫遊国 at 11:26 | Comments(3) | TrackBack(0) | その他

2008年12月05日

沖縄芸能の原点を見る



先日、久しぶりに「村芝居」を見に行く機会がありました。
場所は、うるま市旧石川の伊波部落です。
石川高校の近くといった方が分かりやすいでしょうか。
小さい時石川に住んでいたので分かるのですが、ここの部落の言葉は中部でもかなり独特の訛りを持っています。



その伊波方言を駆使してパフォーマンスをする絵里子、別名比嘉陽花(はるか)、「銀天街おばー」で有名です。
その彼女が初めて組踊りに挑戦するということですから、これは絶対見に行かなくてはと、総勢8名ほどで出かけました。
演目は「久志の若按司」、単純にいうと敵討ち物語です。
その中に伊波部落の地名が出てくるのが、ここで演じられている大きな理由と思われます。

しかし、16年振りに復活したそれは、キャストの殆どを20代の若者が演じているとはとても思えない見事なものでした。
もちろん、重要な役柄の幾つかは、経験を積んだ年配者がやるのですが、今回のテーマである後継者の育成という観点から、その殆どを若者に任していました。
そこに地域の伝統を脈々と受け継いでいく力強さを感じます。
「村芝居」は昔から色んな所で行われてきましたが、最近は少なくなった様な気がします。
単なる歌、三線と違い、長い練習時間が必要なことから、若者の後継者が現れなくなっているのがその理由でしょう。
その意味で、伊波部落が最初から20代の若者の積極的な参加を促す努力をしたのは評価出来ます。



そのリーダー的な役割が絵里子でしょうか。
悪役ですが、うちなーぐちが得意な彼女ですから、際立っていました。
今回の組踊り初体験で、彼女のパフォーマンスにますます磨きが掛かるものと思われます。



大勢の出演者が舞台上で記念撮影。
皆伊波部落の人というのが凄いことです。
今回は16年振りということですが、恐らく来年もまた続いていくことになるものと思われます。

今回の村芝居を久しぶりに見た感想を一言でいうと、そこに沖縄芸能の原点を見たということでしょうか。
田舎の各地で、当たり前のように、自分達だけで演じるというそのスタイルに、色んな沖縄芸能の真髄がある様な気がしました。
もう一度改めて「村芝居」を見直す運動が起こっても良いかもしれません。
Posted by 漫遊国 at 15:06 | Comments(0) | TrackBack(0) | その他

2008年11月30日

かんしょうさんの記憶を紡ぐ



「WANAKIO2008」の一環の山里紗葉さんのパフォーマンスが土曜日に行われました。
もう何年も銀天街の街づくりに協力してくれている紗葉さん、青年部長の仲田君を先頭に一行8人で押しかけます。



かんしょうお祖父さんが亡くなって主の居なくなった建物は、つたでびっしりと埋め尽くされています。
しかしここは那覇のど真ん中、三越のすぐ後ろです。
ここだけエァーポケットみたいに時間が止まっているような感じがします。



薄暗い壁一面の命名札、かんしょうお祖父さんの歩んで来た時間が貼りついています。



旧海軍の予科練出身のかんしょうさん、壁にその時の帽子が掛けられています。
沖縄にいた肉親は、その多くが戦争で亡くなったそうです。
生き残ったのは兄弟二人だったようです。



数々の遺品で埋まった古い家で、紗葉さんが静かにかんしょうさんに語りかけます。
かんしょうさんへの鎮魂歌の子守唄から始まったそれは、時間を超越した、生きている人と亡くなった人の交流のようです。
その場を数々の遺品たちが見守っています。
香取さんのアコーディオンと、従兄弟の松本君の三線が、狭い、静かな空間に違う時間を漂わせてくれます。
亡くなった人の時間と記憶が、鮮やかな形で蘇ってきます。



それが生きている人からの鎮魂のメッセージなのでしょうか。
紗葉さんのパフォーマンスは、小さな会場に居合わせた僕らに、静かな感動を与えてくれました。
終わった後の紗葉さんはどこか晴れやか。
かんしょうさんとの対話から、また新しい自分を発見したかのようです。
Posted by 漫遊国 at 19:39 | Comments(0) | TrackBack(0) | その他

2008年11月22日

全国アートNPOフォーラム始まる



久茂地川沿いの古いビル、現在は公民館になっています。
しかし、復帰前は確か青少年会館とかいう様な名称ではなかったかと思います。
運営も、確か教職員会かその別法人だった様な気がします。
ここには沖縄で唯一のプラネタリュームが有り、最上階の丸いドームにわくわくした様な記憶があります。
そしてすぐ近くには久茂地小学校、昔「沖展」が開かれていた所です。
そこで「沖展」を見て、帰りは牧志のバス停で熱々のアンマンを食べるのが、とっても贅沢な時間でした。
今は昔、1950年代後半から60年代初めにかけての僕の大切な記憶です。
およそ芸術とは縁の無かった親父が、はるばるコザから那覇まで「沖展」に連れて行った理由は何だったのか今でもよく分かりません。
しかし、当時見た絵の幾つかは確実に僕の脳裏に焼きついています。
その懐かしい場所に40何年ぶりかに訪れた理由が「全国アートNPOフォーラム」だというのも何処か因縁めいています。



そして会は始まりました。
樋口君がやきもきしていた事が嘘の様な大勢の参加者です。
「流・動・体」の上江田、與那嶺両君の基調報告は、沖縄の歴史からNPOの置かれている現実の悩みまで、実に多岐にわたるものでした。
それは、今論議されている地方分権のあり方にまで及びます。
プロセスを大事にする自治のあり方、小規模な拠点作りに、沖縄の自治公民館の例が参考になるのではないかという提言もありました。
新鮮に写ったのは、「文化権」の実践こそ市民の自治につながる基礎になるという考えです。
それが横割り型社会での市民のアイデンティティーの回路形成基盤だということでしょうか。
まさに、「自治」は「自知」から始まります。

一時間近くに及ぶ二人の報告は、膨大な資料と考察に裏づけされた壮大なものでした。
改めて二人の努力に拍手です。



休憩を挟んで、沖縄で活発に活動しているNPO団体の活動報告がありました。
その何れの活動内容も素晴らしいものばかりです。
そして、地道にあせらず着々と地域と一緒に歩んでいっています。
繁多川公民館の大城さんの一言、「地域に巻き込まれる公民館へ」という言葉に、その活動に対する自信が伺えて感動的でした。

そして、伊是名島で古民家の再生に取り組んでいる納戸さんの言葉の端々にも、当事者だから言える、言い切れる言葉が幾つかありました。
その中でも、「頑張らないビジネス」という明確なコンセプトに多くの示唆が込められています。
「島のこしが島おこし」のキャッチコピーが、単なる開発とは一線を画す伊是名島の観光のあり方を物語っています。
一時的な大量消費型の観光に惑わされず、島を大事にするスモールビジネスこそ、身の丈にあった息の長い島おこしにつながる大事なものだということを教えてくれます。
その活動の輪は今後ますます広がりを見せて進んでいく事間違いありません。
「伊是名島は伊是名島を目指す」、コザにもヒントになりそうな言葉です。

「珊瑚舎スコーレ」の活動報告は、僕にとって衝撃的なものでした。
夜間中学の運営に特化しているとばかり思っていましたが、今回初めてその活動内容が実に多岐にわたっていることに驚きました。
「人は自分を創る」生き物だという考え方のもと、「学校」をつくっていきます。
他者との関わりの中で自分を見つめ、「納得できる自分を創る」手助けをするのが「珊瑚舎スコーレ」だということを、代表の星野さんは訴えています。
そのため、その講座も実に様々なプログラムで構成されています。
野外の活動から、自己表現活動、そしてアジアとの交流、留学プログラムまであります。
講座数も90余を数えるそうで、登録されている講師の数も80名以上にのぼるそうです。
ここではとてもその活動の全容をお伝えすることは出来ないので、この辺で止めておきますが、とにかく凄いと思います。
栄町にもその一端の拠点施設が出来たようですので、近いうち訪れてお話をお聞きしたいと思います。

長くなりました。
最後に、ティトゥス先生の幼児体験から現在にまでつながる一言を紹介します。
「ローカル、トランスローカル、グローバル」。
トランスというのは越えるといった意味でしょうか。
地域に根ざしながら、さらにそれを越えて世界へ、といった意味だと思います。
世界中を渡り歩いたティトゥス先生だからこそ明確に見えている視点だと思います。
そして本来建築が専門の先生は、それこそ「トランスアカデミー」の考え方で、アートの世界にも関わっています。
栄町と銀天街の大事な橋渡し役でもあります。
「WANAKIO」を通して、そして今回の「全国アートNPOフォーラム」の開催を通して、異なった地域がトランスしながらつながっていきました。
もちろん人もトランスしていきます。
そこにたくさんの面白さと今後の可能性がある様な気がします。

さて今日は午後4時から場所を銀天街に移してフォーラムが開催されます。
アーケードの下の開放的な空間です。
多くの人の来場をお待ちしています。
そして夜8時ごろから今度はゴヤ地区でのナイトツァーです。
たすきをかけたメンバーが街の中を大勢歩いているのを想像するだけでも楽しいものです。
今夜は楽しんで貰いましょう。
Posted by 漫遊国 at 12:09 | Comments(0) | TrackBack(0) | その他