2010年07月06日

夏はボサノバ



国道330号線沿い、園田の山根ビル。
昔、今では伝説になったあの「アイランド」の拠点。
「ユーミン」のライブが行われたこともありました。
その4階のライブハウス「レイラ」、昔のギンギンの装いから一変。
今は、クラシックからマジックまで、幅広いジャンルのライブが楽しめます。
開店間もないせいで、認知度は今ひとつです。
しかし、音楽の街を宣言した沖縄市のもう一つの顔になることは間違いありません。



ロックだけでは無い、コザの音楽ジャンルの幅広さを見せてくれた先日のクラシックコンサート。
むき出しのコンクリートの天井が気になることも無く、素晴らしい音色を堪能させられました。
クラシックを、お酒を飲みながら聴ける楽しみなんてのは、そうそう味わえるものではありません。
今後も同じ様な試みを続けていけば、クラシックファンの底辺拡大に寄与することでしょう。



さて、コザの真夏の祭典「ピースフル」も終わりました。
しかし、真夏の音楽といえば、もう一つ「ボサノバ」も忘れてはいけません。
いっぱいの光に溢れている真夏の沖縄の海、しかし、その光の中に潜むもうもう一つの表情。
「おきなわんチルダイ」とも言える、どこか訳の分からないけだるさ。
その雰囲気にピッタシなのが、海辺で聴くボサノバかもしれません。

しかしそのメロディーは、聴く人によっては、大都会の喧騒の中の孤独な「渇き」、それを癒すものに聴こえるのかもしれません。
ブラジルで生まれたボサノバが、ニューヨークで進化し、さらに全世界に広まったのも、その辺の所にあったのかもしれません。
タンゴと同じ様に、ラテン音楽の陰とも言えるボサノバ、しかしそれはまた、ラテン音楽にこの上も無い深みをもたらしました。

開店間もないライブハウス「レイラ」。
今宵はボサノバで盛り上げましょう。
チケットの販売がいまいちのようです。
せっかく出来たコザのライブハウスの芽をつぶさない為にも、皆で応援したいものです。
Posted by 漫遊国 at 09:54 | Comments(0) | TrackBack(0) | コザあれこれ

2010年06月12日

文化力、地域力、そして雇用



秋田県にある「たざわこ芸術村」の全体概要図です。
わらび座の常設劇場を中心に色んな施設が集積しています。
温泉宿泊施設、農場、研究施設、レストラン、そして、とうとう地ビール工場まで作ってしまいました。
中核の劇団わらび座がこの地に移って来て60年近くなるようですが、ここまできた裏のドラマに思いをはせると、軽い身震いすら覚えます。
おそらく最初は、地元の人達の誰一人として素直な気持ちでは迎え入れきれなかったと思います。
東京の劇団が、はるばる雪深い秋田の山奥に拠点を移すなんて、想像を絶したことです。
しかし今では、日本どころか、世界中で、年間1300回以上の公演をこなす日本を代表する人気劇団に成長しました。
現在、劇団員は60名ほどのようですが、それ以外に全国から集まってくる研修生も多数います。



劇団の活動が核になって、このように、地域と一体となった活動の場が広がりました。
まだグリーンツーリズムという言葉すら無かった時代からそれは始まっていたのです。



そしてその広がりは、地ビールの製造へと発展していきます。
原料を完全に地元でまかなうという壮大なプロジェクト。
劇団という一つの文化集団が、60年という年月を経て、ここまで大きくなったのです。
それは同時に、地域との関わりの広がりを示すものでもあります。

過疎に悩み、高齢化に悩む集落が増える中、「たざわこ芸術村」には、現在360名余の人が働いています。
もちろん、その中には、全国から集まってきている大勢の若い劇団員、研修生もいます。
そして劇団の成功は、世界中から人を呼び寄せる波及効果を地元にもたらします。
実は、我が沖縄市からも新崎恵子先生が琉球舞踊の指導に行かれたそうです。



秋田といえば「わらび座」、佐渡といえば「鬼太鼓座」、「鼓動」、青森といえば「津軽三味線」という風に、地域と密着した歌舞団、文化集団を持つという事。
わらび座の様な形態は長い時間を掛けなければ無理ですが、しかし、そこに大きなヒントが隠されている様な気がします。
地域独特の個性、文化コンテンツ、歴史を見直せば、宝の山が埋まっていると思います。
皆そこのところは気が付いているのですが、そこから先に中々進みません。
わらび座の60年には勝てませんが、少なくとも10年のスパンで考える必要があるのかもしれません。

フランスの文化予算が日本の30~40倍、韓国のそれも3~5倍という現実。
明確な国会意思としての戦略的な発想の有無が、現在の韓流ブームの底に流れていることに気付かなくてはなりません。
同じ様に、地方が、地域が、戦略的な発想で文化政策を進めてもおかしくない時代になりました。
金沢や、横浜等、全国に成功事例がでてきています。
しかしそこには、強いリーダーシップが必要です。
そして、覚悟が必要です。
しかし今後、確実に、文化力が地域力を示すバロメーターになる日が来ると思います。

沖縄市の文化コンテンツは実に豊富です。
写真にある若手歌舞集団も確実にレベルアップしています。
今後このような若手集団の積極的な支援、育成を考えていくことが必要ではないでしょうか。
そのためにも、プロの脚本家、演出家、そしてプロデューサーの発掘が必要です。



沖縄市の文化コンテンツの一つに、1960~70年代のロックもあります。
今年のロックの日の特徴的で感動的なことは、脚本そのものを喜屋武幸雄さん自ら手がけたという事でしょう。
彼らが一番良く知っている当時の状況、コザの混沌とした現実。
ロックミュージカルの観客に60~70のおじさん、おばさんが一杯いるコザの不思議な空間。
同時に、エイサーや伝統音楽も盛んな地域。
それこそ、文化コンテンツそのものではないでしょうか。
足りないのは、確固たる意思の発露たる文化政策、戦略だけだと思います。
Posted by 漫遊国 at 08:00 | Comments(1) | TrackBack(0) | コザあれこれ

2010年06月09日

毎月20日はコザ暴動を語る会



久しぶりに書きます。
又見て下さい。

写真はパルミラ通りにある「ヒストリート」。
街中の資料館としては、全国屈指の充実度を誇ります。
しかもそれが、戦後のコザ、そしてその関連のアジアをテーマとしたものです。
沖縄市市史編集室の並々ならぬ意気込みを感じさせてくれる場所です。



館内の一番奥にある「コザ暴動」のコーナー。
当時、米軍関連の自家用車は皆黄色ナンバーを付けていました。
その実物も見受けられます。
その黄色ナンバーの車80台余を燃やしたのがコザ暴動です。

1970年12月20日の夜にそれは起きました。
その現場に居合わせた僕らには今でも生々しい出来事です。
或る人は「戦争が起きたと思った」、また或る人は「革命がおきたと思った」と、現場に遭遇した人の初印象はそれぞれ違うものです。
しかし共通しているのは、当時のコザ、或いは沖縄の置かれた特殊な状況の認識です。
全くの植民地、欧米型の巧妙な植民地、それゆえの様々な過酷な矛盾。
それに対する感情の爆発が、おそらく「コザ暴動」の本質なのかもしれません。



しかし、あれから40年が過ぎました。
事件そのものを知らない世代が社会の中枢を占めようとしています。
そして、戦争体験と同じで、実際に体験した人の中には、まだまだ生臭くて、とてもまだ語れないという人もいます。
40年という歳月は、長いようでいて、実は微妙な節目です。
しかし、この機会を逃したら、後は記憶の風化に任せてしまうばかりです。

幸い、NHKの喜多記者からの提案があり、沖縄市の市史編集室、広報と共同で、体験者の証言を集めるプロジェクトが発足しました。
4月の20日に正式に発足し、既に2回目を終わったところです。

写真は2回目の様子です。
その日の証言で、今まで余り知られて来なかった事が出てきました。
詳しい事は、後日市史編集室から出版されるであろう証言集に譲りますが、とにかく目からウロコでした。



すごいピンボケ写真ですが、実は大きな意味があります。
体験者の証言を集める段階で、実は拒否されたことがあります。
その人は、実際に第2ゲートに突入して、アメリカ人の小学校に火を付けました。
その証言をお願いしたのですが、当然の事ながら拒否されました。
実は、彼の現在の仕事が、アメリカ人と関わりのあるものだからです。
40年という月日は、彼にとって決して断絶はしてないのです。
同じ様な事例がコザには多いんじゃないかと思います。

そこで、当プロジェクトでは、皆の前、マスコミの前では話せないという人には、市史編集室の少人数のメンバーが、直接本人にを訪ねることにしました。
もちろん、匿名を条件にです。
これを機会に、少しでも多くの人に語ってもらいたいというのが趣旨ですので、たくさんの情報提供をお願いしたいと思います。

写真は、6月1日に行われたTさんの証言を聞く会の模様です。
この証言も、今まで又聞きでしか聞いたことがなかった模様が、実に生々しく熱く語られ、全員圧倒されました。

当プロジェクトの運営は、緩やかなルールで行われています。
当然、一般の方の参加も認めています。
むしろ、若い方達の積極的な参加をお願いしたいぐらいです。
ただし、証言者或いは当プロジェクトの意に反した「証言の無断利用」は固くお断りさせていただきたいと思います。
色んな方達の証言を、偏り無く公平に集めようというのが、当プロジェクトの大きな趣旨です。
その趣旨をご理解の上、毎月20日夜7時に「ヒストリート2」までお越し下さい。
12月まで続きます。
Posted by 漫遊国 at 12:02 | Comments(0) | TrackBack(0) | コザあれこれ

2009年11月14日

街に図書館があるということ



「コリンザ」一階の広大な空きスペース。
ここだけを見るとどうしょうも無いような寂しさを覚えます。
しかし、コールセンター、あしびなー市民劇場、ハローワークと、人で一杯です。
一階に空きスペースが有るとはいえ、まだまだ一億円余の賃貸収入があります。

永年の懸案のその「コリンザ」の再生を巡っては様々な意見があります。
過去の壮大な負の遺産、今までずっと先送りしてきましたが、最早猶予は出来ません。
現在、大きな覚悟を持って、市はその処理を考えているようです。
もちろん、難題は山積みです。
しかし発想を変えれば、そこに次善の策が見えてくるような気がします。



何しろ、ミュージックタウンと並ぶコザの中心市街地の核施設です。
これを生かさない手はありません。
今中心市街地に欠けているものは何かと考えた時、そこに見えてくるものがあります。
それは、図書館です。
現在中の町にあるそれは、狭小で、現代の新しい、市民に開かれた多機能型の図書館像からはちょっと遠いものがあると思います。
単なる本を並べただけの図書館から、ネット社会にも対応した、しかも、子供にも高齢者にも訴えるものを持った図書館。
そして何よりも、地域コミュニティーの核にもなり得る図書館、そこに向けて変貌を遂げることの出来る施設。
車でしか行けない場所より、バスでも、歩いても行ける所に立地することの意味。
そして、それが中心市街地にあることの意味を考えた時、「コリンザ」の持つポテンシャルは高いものがあると思います。

現在教育委員会は、新しい図書館の建設に向けての審議会も発足させたようです。
郊外に土地を確保し、新たに作るという事は、永年の夢だったと思います。
しかし、せっかく中心市街地に広大な空きスペースが有るわけですから、次善の策としてそれを生かさない手はないと思います。
コンパクトシティーがこれからの都市政策の主流だということですから、それに見合う場所にまず立地を考えて頂きたいものです。
それと、沖縄市の重荷になっている「コリンザ」の問題が少しでも軽くなれば、一石二鳥です。
郊外に新築すれば、恐らく何十億と掛かるかもしれません。
財政政策上から考えれば、その何分の一かで済む案の方が、当面は良いのではないでしょうか。
将来財政にゆとりが出来た時、その時こそ、日本一の素晴らしいものを作る、その夢を持っても良いのかもしれません。
変化の激しい世の中です。
図書館のあり方も恐らく大きく変わって行く筈です。
ちょっと立ち止まってそれを見据える時間も必要ではないでしょうか。
Posted by 漫遊国 at 08:00 | Comments(3) | TrackBack(0) | コザあれこれ

2009年11月11日

20年後の旧コザの人口は?



今は昔、マンモス校だったコザ小学校。
現在、一学年二クラスを維持するのに四苦八苦しているそうです。
しかも、僕らの時、一クラス60人近くいたクラスが今では30人余です。
それでも厳しいというのですから、本当に時代の流れを感じます。

団塊第一世代の僕らの時代の「コザ中学」、何と一学年18クラスもありました。
しかも、一クラス60名、そのうちの二クラスは62名もいたのです。
一年生だけで、総勢1082名。
その記録は最早破られる事は無いでしょう。

団塊第一世代の僕らの時代の学校は、分離また分離の繰り返しでした。
中学校だけでも二度の分離を経験し、高校でも同じ様なことが起こりました。
おかげで、初めての甲子園も、エースが分離した高校に移籍したおかげで、惨めな大敗。
コザ高校の唯一の甲子園の夢もほろ苦い思い出になってしまいました。



旧コザと旧美里村が合併して何年たったのでしょうか。
今や、旧美里村の方がはるかに人口が多くなりました。
よくよく考えてみると、合併したその時から、膨大な資本投下は、旧美里村に集中してきたと思います。
東海岸だけでなく、内陸部の開発も。
その結果、沖縄市全体としては、人口は合併当初よりも3万人以上増えたと思います。
人口を減らし続けている全国の地方都市の中では、ある意味特異な成功事例と言ってよいかも知れません。

しかし、市全体として人口が増えているのと反比例して、旧コザの中心市街地はどんどん人口が減ってきています。
冒頭で紹介した小学校の児童の在籍数の極端な落ち込み。
それが象徴的な減少です。
しかし事はそう簡単なことではありません。
子供が減るという事は、即ち、中心市街地が限界集落化しているという事です。

衝撃的な統計情報があります。
現在の各地域の世代別年齢構成、それが、20年後、30年後どう推移していくかを表した数字です。
肝心の資料を無くしてしまい、細かい正確な数字は言えません。
しかし、その数字を見た時のショックはよく覚えていて、大体の間違いのない数字は記憶から消えません。

何と、20年後には、旧コザの人口は3万人台になるのです。
確か、3万6千人ぐらいです。
そして、30年後には、3万2千人。
合併当初の半分以下になるのです。
もちろん、今後中心市街地に対する施策を何もしないという事を前提にした数字。
そしてあくまでも現在の人口動態を元にした数字です。

しかし、この数字の持つ意味、ある意味恐ろしい意味、それを真剣に考えなくてはいけないと思います。
今、そして今後、何もしなければその数字に限りなく近づいていく事でしょう。
その時、コザの人間の持っている「アイデンティティー」、いや、「コザ文化」と云われるものすら、最早過去の遺物として葬り去られていることでしょう。

何故今、中心市街地の活性化に新たなエネルギーをつぎ込まなくてはいけないか、それをこの数字は如実に表していると思います。
合併都市の切ない現実、そこには、単なる地域エゴでは片付けられない未来が待っています。
それが明るいものになるか、或いは暗いものになるか、今、そしてこれから試されます。
Posted by 漫遊国 at 19:51 | Comments(0) | TrackBack(0) | コザあれこれ

2009年11月09日

ちょっと良い話



沖縄市の消防本部隣にある「海賊工房」。
最近また新しい離れを作りました。
店はかなりの広さですが、その殆どをオーナー自ら手がけるほどで、大工の腕前も一流。
さてそのオーナーとは、テレビの釣り番組に毎週登場する「山城」君。
県内の釣りきちなら知らない人はいないといっていいでしょう。



その「海賊工房」の男子トイレに最近まで掲げられていたのがこれです。
否応なしに目に付きます。
昔、国語の時間に「言霊」ということを習ったのを思い出しました。
う~ん、確かにその通りかもしれません。
思わず反省!
そういえば、「噂をすれば影」とはよく言われることです。
つい最近もその様な体験をしたばかりです。
たぶん思い当たる人は多いかも知れません。

話は大きく変わります。
永い事ブログの更新を怠ってしまい、心配をかけました。
特別の理由はありません。
ついつい書きそびれると、気負いが先走ってしまい、面倒くさくなったというのが真相です。
その間、コメントをくれた人への返事も怠ってしまい、申し訳ありません。
これからまたぼちぼち書いていこうと思いますので宜しくお願いします。
Posted by 漫遊国 at 15:49 | Comments(1) | TrackBack(0) | コザあれこれ

2009年08月26日

路線バスの停留所の複線化を



写真は、ある日のゴヤのバス停の様子。
片側2車線の一つが3台のバスで埋まっています。
当然一車線はつぶれているわけですから、交通渋滞の原因にもなります。
しかし、ことは渋滞だけの問題ではありません。
自分の待っているバスにもし降りる人がいなければ、3台目、4台目のそれは、無常にも停車せずそのまま素通りです。

沖縄市を貫く国道330号線は、実はバス路線が集中している所です。
退職してから専らバスを利用しています。
そこから、車中心の生活では分からなかったことが見えてきました。
実は、沖縄のバスは意外と便利なのです。
特に、330号線の沿線の住民にとってはこれほど便利なものはありません。
自宅近い停留所でおよそ10分以上待つことは極めて稀です。

しかし問題は、東西を貫く路線網です。
その路線網の便数の少なさがネックになって中々自家用車からの乗り換えが進んでいません。
そして、バス路線網の広報宣伝の場が余りにも少なさ過ぎます。
実は、それさえ分かっていれば、沖縄中何処でもバスで行ける筈です。
そして観光客にも自信を持って教える事が出来る筈です。

要は、沖縄市にバスセンターの様な施設が無いという事がネックになっているような気がします。
何も大規模な箱物を作れと言っているのではありません。
それこそ、費用対効果の面から考えると現実的ではありません。
むしろ、現在のバス停をセットバックして、平行に4~5台ぐらいが同時に停車出来るような拡幅の方が良いでしょう。
現実に、国道の拡幅計画があると聞いています。
ゴヤからコザ十字路までの全面的な拡幅の要望もあるようです。
しかし、その実現までの時間と費用を考えると、少なくともゴヤとコザ十字路のバス停の複線化の方が実現性は高い様な気がします。

その複線化が実現すれば、そこを拠点に、新たな路線網、そしてコミュニティーバスの運行にも道を拓くことが出来るかもしれません。
現に、その可能性を見据えているNPO団体もあります。
過去の実証実験の失敗の原因を充分検証することから、新たな可能性が出てきます。
一度の失敗に懲りずに、再度論議の輪を作る事が大事な事だと思います。

バスに乗らない人の意見の大部分を占めるのが、「定時制」だと思います。
もちろんそれを否定はしません。
しかし、それは一方的にバス会社だけの責任とは言えません。
先ほどの写真のバス停の様子を見てください。
現在のバス停の構造では、バス停での時間調整など不可能です。
現実にバスを利用して分かったことは、意外に時刻表通りだということです。
もちろん、それには理由があります。
具志川のバスセンターから近い距離のバス停だからです。
その誤差は遠距離になればなるほど大きくなっていくのかもしれません。
しかし、バスを利用して分かった事は、時刻表の時間より早く着くバスの意外な多さです。
もちろんあらかじめ渋滞の時間を加味していることによるズレだと思います。
慣れれば、利用する方も早めにバス停に着けば良いと思われるかも知れません。
しかし、事はそう単純ではありません。
そのことが、バスの定時制の神話を崩すのです。
お客さんの信頼性を失わせてしまうのです。

定時より早く着けば待つぐらいのことをしなければ、時間に対する信頼性を損なう事になります。
那覇と違い渋滞の少ない中部では、登りの路線は、定時運行がほぼ可能ではないかと思います。
特に、乗客の少ない時間帯は、遅れより早いことが問題ではないでしょうか。

何故、少なくともコザ十字路とゴヤのバス停の二箇所の複線化が必要かという理由の一つがこれです。
時刻表通りの時間に行けば確実に乗れるという信頼性があれば、例えその時間が多少遅れても、人は納得するものだと思います。
そのためにも、ミニバスセンター的なものが必要なのです。
そして、そこにはコミュニティーバスの発着場もあり、それに付随してバス路線網の案内業務をする小さな施設があればなお良い。

中心市街地に人を呼び込むため、そして将来の高齢化に対応するためにも、公共交通網の充実は避けては通れません。
もちろん、地球温暖化を防ぐ為にも。
Posted by 漫遊国 at 08:00 | Comments(3) | TrackBack(0) | コザあれこれ

2009年05月20日

倉敷音楽祭の意義、再び



先日の「倉敷音楽祭」の打ち上げの様子。
「なおき」と「まさ」の二人を囲んでのパーティーは深夜まで続き、改めてあの時の興奮が蘇ってきます。
一年がかりのプロジェクトは、倉敷側にも一応の成果をもたらしたとのことで、本当に嬉しいかぎりです。
昨年まで踏襲されていたシステムをリニューアルするというのは、大変な苦労を伴うものです。
僕らが関わった一年という時間よりはるかに長い時間、それとの闘いがあったことを二人の背中に感じます。

既に来年に向けて動きだしている二人です。
今年の実験的な試みの成功で、来年の姿が見えてきていると思います。



水上ステージでのエイサー演舞は美観地区の端から端までの人波で、身動きもとれません。
水上ステージ始まって以来の事件(?)だったそうです。
地方では中々目にする事の出来ない演舞の持つ力、それが本物であるからこそ感動が生まれたと思います。
来年の北東北にも多くのまつり、そして芸能があります。
今年のエイサーの成功で、来年の展開の形が見えてきたと思います。
芸文館と美観地区だけではなく、駅前地区にもその広がりを見せて欲しいものです。

そして、僕らが苦労した「物産展」にも多くの可能性が見えてきた筈です。
何よりも、音楽祭に期待した倉敷市民の持つ潜在力の凄さ、それを感じた事で、成功間違いなしの感がします。
地方と地方が、生で触れ合うことの出来る素晴らしい試みは、今年以上の盛り上がりを見せる事でしょう。
僕らは、来年も何らかの方法で関わりを持ちたいと思います。
そして、その翌年も・・・・・



さてここからは、コザの側からの今回の意義です。
今回参加したメンバーの多様な顔ぶれ。
お医者さん、役所の人、バー、或いは食堂の経営者、商店街の役員、そして、大阪、京都からのボランティア、その他・・・
混成メンバーのチームの持つ力の凄さ、それを強烈に感じました。
縦割りでない、全くの横割りのフラットな組織(?)、それが一つの目標に向かっていく時のエネルギー。
それに賭けてくれた「なおき」、「まさ」をはじめとした倉敷の財団の方々。
かなりのリスクを覚悟しての試みだったことでしょう。
それは僕らも同じ事だったのですが、しかし、終わってみて、そこに今後のコザの街づくりのヒントが隠されている事に気付きました。

既存の縦組織とは違うアプローチ、直接的な人と人のつながりを図る緩やかな横組織(?)。
本来コザが得意だった筈のその形の有効性、それが実証されました。
街づくり、地域づくりの原点は、やっぱり「人」です。
そしてそれを生かすのは、人的ネットワークしかありません。
その当たり前の事が意外に忘れられています。
街づくり事業は、即ち「人づくり事業」、そして「ヒューマンネットワーク事業」です。
それにつきる、それを倉敷で強烈に感じた事、それが僕らにとっての大きな成果でした。

倉敷が目指している「地域間文化の交流」の行き着く先も同じ様な気がします。
「なおき」との偶然の出会いも、それを考えると単なる偶然ではなく、何か相通じるものを無意識のうちに互いに感じたからかも知れません。

「倉敷音楽祭」の今後の可能性、そこに「ヒューマンネットワーク」の力が加わることで大きなエネルギーが生まれます。
それに期待して、また来年再会しましょう。
倉敷の皆さんにありがとう!
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2009年05月19日

アーケードの一つの形



アーケードが取っ払われても、雨、そして沖縄の強い日差しを防がなくてはいけません。
現在、銀天街の各店舗は、暫定的にブルーシートやテントでそれを行っています。
ちゃんとしたのが出来るのはもうちょっと先の話になりそうです。



確かに明るくはなりましたが、これからの夏の日差しを考えると、余りにも殺風景で、お客さんに優しくありません。
過去、新しい、アーケドに変わるものが提案されてきました。
しかし、ここは一つ発想を変えてみる事も大事なことかと思います。



そのほんの一つの例。
海洋博記念公園の都市緑化展示園内の緑のアーケード。
初夏には花をつけ、しかも歩く人を太陽から守ってくれます。
この場所は風がわりと強い所なので、支柱もしっかりとしたコンクリー製です。
しかし銀天街では、場所によっては鉄パイプ程度の強度があれば充分な様な気がします。
這わす植物も、ゴーヤーとかパッションフルーツとかの実がなり、しかもあまり栽培の難しくないものが良いでしょう。
ナーベーラーも良いかもしれません。
それらを、プランターで栽培するのです。
アーケードがまるで農園みたいになるかも知れません。
収穫は、地域の子供たちと一緒にやれば良いと思います。

もちろん、雨の対策には、緑のアーケードでは充分ではありません。
しかし、その不自由さを我慢しても、ガーデンシティーとして生まれ変わるインパクトには強いものがあると思います。
無機質なアーケードから、緑の太陽が垣間見れるそれの方が、人にも優しいのではないでしょうか。
一部でも良いからその試みを始めてみる価値がある様な気がします。
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2009年05月18日

川が蘇るとこんなものが



昨年改修を終えた比謝川水系の水辺プラザ。
多くの桜も新緑の時期を過ぎ、鮮やかな緑を輝かせています。
あと5~6年もすれば、コザの新しい桜の名所になりそうです。
川のあちこちに多くの瀬が作られ、そこに豊かな生態系が戻りつつあります。
川べりの雑草の一つ一つが意味を持って、多くの生き物の揺りかごになっています。
昔あれほど汚かった川の見事な変貌には本当に驚かされます。
近年稀に見る「近自然河川工法」の成功例の一つです。
この成功事例が、東シナ海に注ぐ下流側へと広がっていけばと思います。



上流がきれいになれば、中流域ではこんな生き物が獲れます。
白川地域で獲れたザリガニ。
真っ赤に茹で上がって、その鮮やかな色彩が見事です。
市立博物館の学芸員の川添さんが、銀天街に持って来てくれました。
比謝川で獲れた物というと、たいていは警戒されます。
しかし、ザリガニが簡単に獲れるということは、即ち、豊かな生態系の復活があるからです。
上流がきれいになった贈り物です。

早速食べてみると、ダシの利いた濃厚な味、美味です。
驚きです。
海のカニに負けません。
実は、それにもそれなりに理由があるようです。
獲ってから一週間程水の中で飼って、余計な泥とか、川の水を完全に吐かしたそうです。
美味なのは、そういう細かい配慮があったからでしょう。

しかし今回の件で、ひょっとして、現在大量に生息しているテラピアも、同じ様な処置をすれば食べれるのではないかということです。
元々食用の魚、しかも、箱根の温泉街では養殖までしているような肉厚の魚です。
比謝川という悪いイメージを払拭出来れば、可能性が出てきます。
もちろん、水質がもっと改善されて、人が泳いでもおかしくない様な川になったらの話なのですが。
以外にその日は近いかも知れません。
その為には、子供の国からコザ十字路までの改修工事が欠かせません。
昔は泳げたその川の再生にその夢を託したいものです。
そのあかつきには、テラピアがコザの特産品になっていることでしょう。
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2009年05月15日

土曜日の銀天街まつりのテーマは「本」です



月一恒例の銀天街まつり、今回はちょっと趣向が違うようです。
メインの通りの元々の名称が「本町」通り、それにちなんでの今回のテーマのようです。
しかし、確かにこの通りには、大きい本屋さんがありました。
学生がよく集まる街でしたから、それ以外にも何軒かの大きい本屋さんがあり、僕らも学校帰りに良く立ち寄っていました。
月日が経ち、気が付けば、街の中の本屋さんは壊滅。
本屋さんをハシゴする楽しみもなくなりました。
コザ十字路からはハンバーグの店も消えて無くなり、当然の事のように、学生が時間をつぶせる場所も消えてしまいました。
もちろん、喫茶店はとうの昔に消えていました。
今や、コザ十字路は青春の思い出を作る場所とはとても言えない状況です。
こうして、中心市街地への愛着がどんどん失われていきます。
今や、コンビニが後々の思い出の場所になっていくのでしょうか。



さて、そういう危機的な銀天街の状況にあっても、ここを青春の発露の場所として選んだ若者達がいます。
そのなかの一人が、野原大介君。
今回めでたく「コザ文学賞」のフォトエッセー部門のグランプリを受賞。
そして、現役の琉大生の菅谷總君は琉大の「ビブリオ文学賞」の佳作。
一気に二人の若者の快挙が続きました。
しかし、お目出度いことはそれだけではなく、ディノドンの大谷さんが「日本爬虫類図鑑」を発刊。
永年の研究の成果を世に問う事になりました。
まるで、5月に文化の日が一気に来た様な趣きのようです。
街から本屋は消えても、新しい文化の芽は確実に息吹いて来ています。
そこにまたアートが加わるのですから、青春の記憶のストーリーが息づく街、そうなっていく事もあながちオーバーな事ではありません。

今回の銀天街まつり、この3人のお祝いも兼ねながら、中心市街地での文化の役割を考える良い切っ掛けになりそうです。
土曜日に銀天街で会いましょう。
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2009年05月12日

美女と週末ライブハウスツァー



先週末は街歩きガイドで忙しい日々が続きました。
金曜日は、NHKのBSの取材で朝からセイン・カミュと、そして夜はゴーヤーの日の関係者と。
いったい全体ゲート通りを何往復したことでしょうか。
続けば続くもので、翌土曜日はゲート通りのライブハウスツァーです。
銀天街での模合い(モアイ)の帰り、漫遊国議長の源河先生をはじめ、屋良さん、銀天大学の若い人達総勢10名ぐらいでゴヤの街に繰り出しました。
しかしその日の主賓は、写真の美女。
今回は久高島の帰りに銀天街に寄ってくれました。
お土産は、島の人達と一緒の追い込み漁で獲った「グルクン」でした。
皆と模合の席で意気投合、夜のコザは初めてということで、ではライブハウスツァーということになりました。



沖縄には過去何度も訪れている人も、こと夜のコザというとちょっと尻込みしてしまうようです。
何しろ、那覇の人間、或いは他所の地域の人達から、「コザは恐い」と刷り込まれているようです。
しかしそういう人達に限って、実はコザを知りません。
コザの夜の街歩き、あるいはライブハウスツァーには、ある程度のルールが有ります。
その一定のルールを知るためには、先ずは地元の人達に案内して貰うのが無難です。
一回それを経験すると、2回目からは先ず大丈夫でしょう。

ということで、その日も、入門編ということで先ずは「JETT」へ。
ここは、わりかし品の良いアメリカ人が集まる所で、しかも地元の人もよく行く場所なので、初めての人でも安心できる所です。



お次は、アメリカ人バンドが主体の「アルズプレイス」へ。
ここも比較的品の良いアメリカ人の集まる場所。
この2店舗が入門編としてはオーソドックスな店だと思います。
しかし、それでは物足りない人には、まだまだ次が待っています。
ギンギンのアメリカロックが聴ける店も、フィリピンバンドの店もあります。
そしてロックだけでなく、ジャズ、民謡の店も近くにはあります。
それが、半径500メートルの範囲に。
そこが面白いコザの魅力です。
残念なことに、ゲート通りのライブハウスは、殆どが週末営業です。
しかし、民謡とジャズの店、そしてそれ以外にも平日営業している店はあります。
詳しくは、コザ漫遊国にお問い合わせ下さい。

さて、今回一緒に廻った若い美女の正体(?)、実はとんでもない人でした。
感染症の専門家で、東南アジアの国際機関での勤務経験も持つ女医さん。
そういう人が銀天街にふらっと立ち寄ってくれた経緯は全然聞いてませんが、それにしても人の繋がりの不思議さにビックリ。
商店街が、そういう色んな人達の滞留の場所になれば面白い事です。



ライブハウスを出て、今度は別の若い人達と遭遇。
沖縄移住1年以上のメンバーばかりが5~6人、さっそくコザクラで交流会。
皆若いながらも何かを持っている子達です。
しかし、正直まだゴヤ地区の商店街とはちょっと距離があるようです。
銀天街での若い人達の様子を見てきている僕らには、実にもったいない感じに襲われます。
コザに対する愛着も、そしてやる気もみなぎっている彼らの活動と交流の場作り、それがどこか欠けているのでしょうか。
ゴヤ地区商店街の今後の課題に思えてきました。

何れにしても、忙しく、そして楽しい先週末でした。
NHK・BSの放送は6月6日夜8時です。
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2009年05月11日

ゴーヤーの日に初めてのターコースとタコライスを



先週金曜日、5月8日はゴーヤーの日、10年以上続いているゴヤの「ゴーヤーの日まつり」は大盛況でした。
今回初めて「元祖」と銘打ちましたが、その名に恥じない内容盛りたくさんのイベントになりました。
恐らく、数々の関連イベントの中でも群を抜いた内容である事は間違いのないことでしょう。
手づくり感の溢れた催しは、他所には真似の出来ないものかもしれません。
3時間でとっさにイベントが出来るというゴヤの特性が、最大限に発揮される場です。
来年の企画内容が楽しみです。

さてその日、那覇からのお客さんを恒例の街歩きに誘いました。
例年だと居酒屋で打ち上げとなるのですが、今年はちょっと驚いたことがあって別の店に。
何と毎年「ゴーヤーの日祭り」に来てくれているN君、「ターコース」を今だ食べたことが無いそうです。
島尻生まれの島尻育ちですから無理もないことだと思いますが、コザの人間としてはほって置けません。




向かった先は、ゲート2近くのオーシャン。
ターコースとタコライスのうまい店です。
早速、キングサイズのターコースを注文。
彼にとっての初めてのターコース体験。
食べている表情を見ていると、旨いと思っているのかどうか判断がつきません。
ただただ驚いているといった方が正解でしょうか。
続いてこれも初体験のタコライス。
感想はというと、ごはんの上にトマトがのっているというのが考えられないとの事です。
ましてやチーズものっているのですから、彼にとっては驚き以外の何物でもないのかも知れません。
そう言われると、コザの僕らにとっての始めてのターコースとタコライス体験はどうだったのだろうかと考えさせられます。
いまさらながら、コザの常識と言われている事が、ある意味、他所の地域では常識では無かったんだと気付かされます。
これもまたコザの魅力の一つなのでしょうか。



さて、例年以上に盛大だった「ゴーヤーの日祭り」でしたが、その裏の立役者、「沖縄協同青果(株)」のせり人の皆さんです。
10年以上にわたってごーやーを無償提供して貰っています。
ここ最近は、毎年150キロ以上です。
おかげで、ゴーヤーチャンプルーだけでなく、生のゴーヤーの無料配布まで行えます。
ゴーヤーの日の前に決まって高騰するせり相場に苦労させられますが、相場を度外視してのその貢献に感謝です。
今年は相場が高く、農連市場の「まるみつ青果」もまたその一部を負担したようです。
同じく感謝です。
来年もまた宜しくお願いしたいと思います。
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2009年05月07日

毎週末の銀天街屋台村ライブ



毎月第三土曜日の銀天街まつりは、おかげさまですっかり定着した感があります。
しかし実は、銀天街の屋台村では、昨年から毎週末ライブを行っているのです。
こちらはあまり広報に力を入れてないせいでしょうか、ちょっと寂しいものがあります。
予算も限られいる中での開催ですから致し方ないのですが、しかし、面白い雰囲気です。
何よりも、舞台とお客さんとの間の距離感の無さが良いと思います。
飲んで食べて、気軽に楽しめます。



先週土曜日のライブでは、かおりさんの馬頭琴が圧倒的でした。
モンゴル民謡を奏でるその音色は、太く、そして時に繊細で、まるで大草原の只中にいるような錯覚すら起こさせます。
かおりさんはコザに来て2年半だそうですが、大変失礼ながら、その間の演奏技量の進化は素晴らしいものです。
特に、モンゴルの風を彷彿とさせる微妙な音色に感動します。
モンゴルの大草原の中を、馬と共に歩いている様な空間の広がりをも感じて、心地よい気分です。
ビールが美味しい!



香取~ヌさんは、時として屋台のお客さんのすぐ側で演奏、一緒に歌います。
一世代前の歌声喫茶の様な雰囲気です。
或いは、昔中の町に何名もいた流しのおじさんの様な雰囲気も持っています。
何時でも歌集を準備しているので、飛び入り大歓迎です。

毎週末やっていますので、是非一度は足をお運び下さい。
お待ちしています。
Posted by 漫遊国 at 09:00 | Comments(0) | TrackBack(0) | コザあれこれ

2009年05月05日

ちょい悪親父の本領発揮



4日と5日の第9回沖縄音楽市、コザは若者達のロックだけでないということを証明してくれました。
もちろん5日には、オーディションを経てきた若い人達のバンドが何組も出ます。
しかし昨日は、完全に中年バンドの独壇場。
フォーク調からオールディーズ調、そしてコザロック。
お客さんの平均年齢もかなりの高さ。
しかし、その平均年齢の高い人達がロックを聴いている、その姿に違和感を感じないというのがコザの凄さでしょうか。
ということを県外の人に指摘されて、逆にビックリしたことがあります。
そういえば、音広場での若い子のロックに耳をふさぐのでもなく聴いているおばー達。
そこに、ロックから民謡まで何の違和感もなく受け入れているコザの象徴的な光景を感じます。



いつもはゴヤで、街づくりに口角泡を飛ばして持論を展開している豊田さん。
そのパワーは半端なものではありません。
時に脱線もしますが、そのパワーが「コザ連合」の大きな原動力になっています。
その豊田さんが昨日は大変身。
自分のバンドにエツさん、コウゾウさんをゲストにパワー炸裂です。
前半こそ先日亡くなった忌野さんにまつわる自分の想いを神妙に語っていたのですが、後半はやっぱりコザロック調の激しい曲。
僕が初めて見た舞台でのパフォーマンスも素敵でした。
コザロックの往年のスターも皆50歳をとっくに過ぎてしまいましたが、豊田さんのパワーもそれに負けないかっこ良さ。
改めてコザのちょい悪親父達の凄さを感じた夜でした。

Posted by 漫遊国 at 13:27 | Comments(0) | TrackBack(0) | コザあれこれ

2009年04月29日

命の教育



四葉のクローバーが回りに描かれた子供の絵。
実はこれは、お母さんのお腹にいる赤ちゃんを描いた絵です。
赤ちゃんの幸せそうな表情と四葉のクローバーは連動しているのでしょうか。



これは妙に考えさせられる絵です。
子供なりに、家族、或いは夫婦の事も考えて描いたものかも知れません。
ちょっと考えさせる作品です。



構図の大胆さと奔放な感性は、時に大人を驚かせます。
子供の作品の前では、大人はある意味無力です。
その感性をどう今後導き出していけば良いのか判断に苦しみます。
その貴重な感性の芽を、無意識のうちに摘み取って仕舞っているのではないかという恐れを時に感じます。



その意味で、林君夫妻が銀天大学でやっている美術教室の姿勢は評価されて良いのかも知れません。
決して子供に押し付けず、辛抱強く、その自立性を引き出していく姿勢は、子供の感性教育に最適です。
銀天大学美術教室の今までのワークショップの作品には、現代アート顔負けの造形も結構ありました。
僕らはその自由な発想に驚きましたが、それが学校教育の場で歪められていきそうな危うさも同時に感じます。

今回子供達に与えられた絵のテーマは、恐らく赤ちゃんという事でしょうが、それは同時に「命を考える」教育にもなっていると思います。
親が子供を殺す、子供が親を殺す時代に、赤ちゃんという小さい命を通して、子供達自身に考えさしていくその姿勢に共感を覚えます。
今後もその姿勢を忘れずに子供達と接していって下さい。
期待します。

なお、銀天大学子供美術教室は、随時入学を受け付けています。
詳しくは、銀天大学事務局までお問い合わせ下さい・
Posted by 漫遊国 at 08:00 | Comments(1) | TrackBack(0) | コザあれこれ

2009年04月26日

女性だけのハードロックバンド



毎月第4金曜日に、屋台村向かいの銀天大学でライブをやってくれているグループ。
ヴォーカルは、あの有名なジョージ紫の息子のレイさんです。
ギターは浅見さん、そしてキーボードはゆかりさん。
場所が場所だけに、ハードロックでは無く、アコースティックなサゥンドで、レイが語りかける様に歌います。
毎週金曜日と土曜日にライブをやっているということがまだまだ知られていなくて、残念ながらお客さんはわずかです。
しかし、ギターの浅見さん、キーボードのゆかりさんのしっかりした演奏が間直に聴ける贅沢な空間です。
是非一度は足を運んで下さい。



演奏を終えた3人が向かった所は、ゴヤのバス停近くの「セブンスヘブン」。
レイが経営しているライブハウスです。
金曜日とあって、店内はアメリカ人客が一杯。



先ほどまで銀天街にいたキーボードのゆかりさんのグループ、「ナイト・メアー・エンジェル」のハードロックの演奏が始まりました。
激しいサウンドに、板張りの床がびりびりと振動します。
全身を使った渾身のライブ、アメリカ人達もだんだん興奮の坩堝に巻き込まれていきます。



金髪のキーボードの「ゆかり」さん、先ほどまでの銀天街での様子とはまるで違います。
激しい動きに携帯のカメラがついていけません。
ギターの「のら」さん、ベースの「かよ」さん、ドラムの「あさき」さん、何れも若い女性だけのグループです。
そのパワフルな演奏は、同じく女性だけのバンド、あの「ブリーチ」を思い起こさせてくれます。



その一生懸命な演奏とチャーミングさは、今後大ブレークしそうな予感がします。
結成まだ半年だそうですが、今後の飛躍に期待。

ゲート通りだけではないコザのライブハウス、その層の厚さを垣間見た夜になりました。
Posted by 漫遊国 at 18:00 | Comments(0) | TrackBack(0) | コザあれこれ

2009年04月25日

普段着の民謡居酒屋



最近パークアベニュー、「サイドウェー」の二階にできた民謡居酒屋のある日の光景。
右の女の子、太鼓を叩きながら歌って、その合間にピースサイン。
飛び入りの子でしたが、結構いけていました。
グループで来ていたもう一人の子も堂々とした歌いこなしで、たいしたものです。



この店の特徴は、マスター、従業員が歌えるということですが、それだけではありません。
お客さんの殆どが歌う事を目的に来ていて、次々と飛び入りが入るということです。
しかもその中には写真の様な可愛い女の子がいたりして、改めてコザの民謡界の層の厚さを感じさせてくれます。
コザがロックだけではないという事を痛感させられます。



この人は、その多くの飛び入りのお客さんの中でもピカ一の人でした。
甘い声は、歌情けに溢れています。
思わず聞き惚れてしまいました。
面白いのは、左でギターを手にしているのは、実はこの店の家主さんだそうです。
伴奏だけでなく、気が向いたら歌ってくれます。
家主と店のこういうような関係、民謡を介したこういう関係も面白いものだと思います。

この店の良い所は、こういう普段着の飾らないところ、そして何よりもお客さんとの距離の近さでしょうか。
ある意味コザらしいかもしれません。
音楽の街を目指す沖縄市の新しいスポットです。
Posted by 漫遊国 at 22:12 | Comments(1) | TrackBack(0) | コザあれこれ

2009年04月21日

中心市街地再生のネックとは



錆びて、もはや上に上がる事の出来ない鉄の階段。
何年も放置されてきたゴヤの空き店舗の様子です。



天井はあちこちで剥がれ落ちています。



その下にはコンクリートの破片の落下物。
天井裏がどうなっているかは、天井を剥がしてみなければ誰にも分かりません。



一見きれいな様に見える建物内部。
しかし、このビルの屋上に登って見ると、コンクリートには無数の細かい亀裂が走っています。
何処かで雨漏りしているのは間違いないでしょう。
このビルにはその他に重大な欠陥がありました。
コンクリートの柱の幾つかに亀裂が見つかりました。

外から見た限りは何とも無さそうなビルですが、長い間ほったらかしにしていると、写真のような問題が起きてきます。
これでは、せっかく借り手が見つかってもまず成約することはありえないでしょう。
補修の技術がかなり進歩して、金さえかければ、見事に生まれ変わるのですが、問題はそこからです。
当然家主が負担すべき問題ですが、そこに経済的負担能力があるかどうかです。
また、例え改修したとしても、借り手が現れなければ、何年か後にはまた同じ問題に直面します。

問題はコンクリートだけではありません。
実は、水回り、電気等の基礎的なインフラにも金が掛かります。
水道は配管し直さなければ使えませんし、電気も恐らく似たような状況です。
結局三すくみ状態で手が付けられず、永遠に放置せざるを得ないという状況が生まれます。

現在の空き店舗対策事業では、こういった状況を改善するには限界があります。
それを打破するには、ある大胆な提案をする必要があります。
その一つは、NPO,或いは行政が、その改修費用を全額、又は一部補助か負担をすることで再生を図る。
その条件として、家主には一定期間家賃をただにしてもらう。
もちろん、借り手には一定の家賃を負担して貰い、改修費用の回収に当てる。
ただし、空き店舗解消事業の趣旨に従い、家賃は現在の相場より大幅な低減を図る。
入居者の選定は、家主ではなく、NPOか行政、或いは第三者委員会に任せて、街の戦略的な構想に添う形を取る。

また別の形として、一定の負担能力のある家主が希望すれば、低利融資を行い、家主主導の改修としても良い。
本当は、この方が一番現実的かもしれませんが、現状は、高齢化していく家主が多い中、それだけでは厳しいものがあります。
まして、改修して後の入居者の目途をどう付けるかが無いと、高齢化している家主には決断が付きにくいことです。

小さいながらも、銀天街で去年何軒かの空き店舗の再生事業に関わりました。
その時感じさせられた大きな壁が、この三すくみ状態の現状でした。
この状態を打破するには、知恵だけでなく、現実的にお金が必要です。

ここ最近、全国あちこちで、リノベーション事業が盛んに行われるようになってきました。
その手法は様々だと思いますが、コンクリート建築の多い沖縄ならではの手法の確立が必要です。
中心市街地の再生のコストを考えると、もはや大規模な再開発ビルの建設という事業モデルは崩れたと思います。
また、高齢化社会に対応したコンパクトシティーを考えた時、古いビルを再生して、そこに公的な機能を付加するということも、コストの面から考えると有効な手立てかもしれません。

中心市街地の再生にはハードとソフトの両輪が必要ですが、そのための古いビルの再生活用は欠かせません。
その為の論議が今後期待されることになると思います。
Posted by 漫遊国 at 18:00 | Comments(0) | TrackBack(0) | コザあれこれ

2009年04月20日

嬉しい出来事が



おじさんが3名並んでいますが、実は二人はお医者さん、後の一人は海邦銀行本店の幹部。
土曜日の銀天街まつりで久しぶりに再会しました。
この三名、或いは僕を含めての4名の関係はというと去年にさかのぼります。
左端の国吉さんが老人保健施設のための物件を探しているとの情報が来てからの事です。
早速源河先生と一緒に、ゴヤ、銀天街と半日を掛けて物件捜しに歩き回りました。
その結果、幾つかの候補の中から、銀天街アーケード内とサンシティーアーケード内の2ヶ所の物件が決まりました。
銀天街の方は改装工事も既に終わり、5月1日オープン予定です。
サンシティーの方は現在内装工事中とのことです。
これで中心市街地の空き店舗が2ヶ所減ることになります。
なおその間、海銀の玉城さんには、金融関係のアドバイスを色々頂いたようです。
そして今回の件は、源河先生のお医者さんらしくないセールスマンぶりが見事に発揮された一例でもありました。



現在、銀天街には児童デイサービスの施設とその事務所があります。
今回のお年寄り向けのデイサービスの開所で、相互の連携が日常的に進んでいけば面白い街になると思います。
そして、若者を中心にした「アートと交流の街づくり事業」の更なる進化も見込めるかもしれません。
また、雅子さんの提唱する「商店街から生活街へ」という理念により近づくことになりそうです。
今後ともよりいっそう「生活街」に近づく努力が求められています。



そしてもう一つ嬉しいことが。
去年から発刊準備中の「コザ十字路新聞」が出来ました。
一面の写真は、車がまだ右側を走っていた時のものです。
比嘉眼鏡の比嘉さんの提供した写真だそうです。
セピア色の色合いが何ともレトロチックで面白い。
内容も充実していて読み応えのあるものに仕上がっています。
今後第二号も出す予定だそうです。

なお今回の費用は、コザ信金の地域支援プログラム事業でまかなわれています。
改めて感謝です。



発行人の野原君、通称「だいちゃん」。
東京から年に何回も銀天街に来てくれて、色々手伝ってくれています。
天草での地域支援プロジェクトに携わっていた実績もあり、それを銀天街にも生かしてもらっています。
だいちゃんにも改めて感謝です。



一部のアーケードを撤去するだけで、メインアーケードは残るのですが、色々誤解が重なったようです。
すなわち、アーケードと共に銀天街商店街も無くなる様に思われていたようです。
情報の先行の恐さを改めて感じさせられました。
写真は土曜日の祭りの様子ですが、この様に多くのお客さんに来て貰っています。
まだまだ銀天街は元気です。
これからも応援宜しくお願いします。
Posted by 漫遊国 at 15:54 | Comments(0) | TrackBack(0) | コザあれこれ