2009年08月25日
銀天街音頭の記憶
昔、沖縄市の2大祭りと云えば、「全島エイサー祭り」と「沖縄祭り」だったと思います。
「全島エイサー祭り」の方はその後、「オリオンビアフエスト」との併設でますます賑やかになっていきました。
しかし、「沖縄祭り」の方はだんだん地味になっていき、名称も「沖縄国際カーニバル」に変わり、開催場所もゴヤ中心になってしまいました。
セピア色の写真は、「沖縄祭り」のパレードでの銀天街婦人部の姿です。
当時の祭りの主会場は、現在の市営球場でした。
そしてパレードの出発場所はというと、美里の現在MACのあるあたりです。
江戸のぼり行列だけでも何百人という大パレードです。
おそらく総勢2千名を軽く越える人間が、カマラの急坂を越えて約4キロの道のりを延々と練り歩く様は圧巻でした。
当時、中心市街地の商店街は活気に溢れていて、今みたいに空き店舗なんて全く無い時代でした。
各通り会は、それこそ趣向を凝らした山車やら踊りで、沿道の市民に熱心にアピールしていました。
銀天街商店街の組合の行列は、その中でもひときわその参加人数で際立っていました。
その当時、毎年パレードの整理係をやっていたのでよく覚えています。
写真に写っているのは、その半数にも満たない行列です。
僕の記憶では、毎年百人以上の参加があったと思います。
何しろ、青年部の数も50名ぐらいいる時代です。
そして街全体が元気のある時代です。
ひょっとすると200名ちかくの人がパレードに参加していたかもしれません。
今ではその記憶も遠い昔のようになってしまいました。
しかし先日、銀天街の組合事務所での会合の後、参加者全員で起立して歌った歌が、あの懐かしい「銀天街音頭」だったのです。
仲田君の話では、最近の組合の集まりでは、決まってこの歌を歌うのが習わしになっているそうです。
銀天街華やかなりし頃の歌ですから、作詞、作曲も県内の著名な方の作です。
もちろん、あの華やかなパレードにも使われていた曲です。
今では、その曲にのって踊る振り付けを覚えている方も何人もいないかも知れません。
しかしもしいるのでしたら、その復活プロジェクトを立ち上げてみるのも面白いかもしれません。
当然レコードは残っていない筈ですから、新しい感覚のアレンジで曲作りをしても良いかもしれません。
何しろ、商店街がオリジナルのテーマソングを持っているということは凄い事です。
単なる記憶の片隅に追いやるのではなく、今の時代に復活させるという事は、とても意義深いことです。
次の銀天街のテーマになりそうな気がします。
最後にその「銀天街音頭」の歌詞を紹介します。
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この記事へのコメント
古堅さん、はじめまして東京在住のコザんちゅ(照屋出身)
玉城まさゆきと申します。(東京でコザのこととか歌っています)
いつもブログ拝見しております・・・・(コメントはじめてです)
かつてのような活気あふれる銀天街を!
遠くから見ています、そう望んでいます。
仲田君は越来中の同級生です。
彼はボクのこと憶えてないと思いますが・笑(同じ18期生)
微力ですが、ボクにも何かできる気がします!
銀天街音頭ぜひ聴いてみたいです「方法ありませんか?」
ボクに届くメアドです
koza-tamaki@nifty.com
玉城まさゆきと申します。(東京でコザのこととか歌っています)
いつもブログ拝見しております・・・・(コメントはじめてです)
かつてのような活気あふれる銀天街を!
遠くから見ています、そう望んでいます。
仲田君は越来中の同級生です。
彼はボクのこと憶えてないと思いますが・笑(同じ18期生)
微力ですが、ボクにも何かできる気がします!
銀天街音頭ぜひ聴いてみたいです「方法ありませんか?」
ボクに届くメアドです
koza-tamaki@nifty.com
Posted by 玉城まさゆき at 2009年08月25日 13:44
銀天街音頭 (昭和57年)
作詞 上原直彦
作曲 三田信一
唄 玉城一美姉妹
なお、作曲の三田さんは 「ちんぬく じゅうしい」の作曲者です。
上原直彦さんはもと琉球放送の あの方です。
楽譜とテープはありますので 機会があればご披露します。
古堅さんいつも 銀天街の紹介ありがとうございます。 感謝・・・・
作詞 上原直彦
作曲 三田信一
唄 玉城一美姉妹
なお、作曲の三田さんは 「ちんぬく じゅうしい」の作曲者です。
上原直彦さんはもと琉球放送の あの方です。
楽譜とテープはありますので 機会があればご披露します。
古堅さんいつも 銀天街の紹介ありがとうございます。 感謝・・・・
Posted by コザ銀太郎 at 2009年08月25日 17:07
