2009年11月11日

20年後の旧コザの人口は?



今は昔、マンモス校だったコザ小学校。
現在、一学年二クラスを維持するのに四苦八苦しているそうです。
しかも、僕らの時、一クラス60人近くいたクラスが今では30人余です。
それでも厳しいというのですから、本当に時代の流れを感じます。

団塊第一世代の僕らの時代の「コザ中学」、何と一学年18クラスもありました。
しかも、一クラス60名、そのうちの二クラスは62名もいたのです。
一年生だけで、総勢1082名。
その記録は最早破られる事は無いでしょう。

団塊第一世代の僕らの時代の学校は、分離また分離の繰り返しでした。
中学校だけでも二度の分離を経験し、高校でも同じ様なことが起こりました。
おかげで、初めての甲子園も、エースが分離した高校に移籍したおかげで、惨めな大敗。
コザ高校の唯一の甲子園の夢もほろ苦い思い出になってしまいました。



旧コザと旧美里村が合併して何年たったのでしょうか。
今や、旧美里村の方がはるかに人口が多くなりました。
よくよく考えてみると、合併したその時から、膨大な資本投下は、旧美里村に集中してきたと思います。
東海岸だけでなく、内陸部の開発も。
その結果、沖縄市全体としては、人口は合併当初よりも3万人以上増えたと思います。
人口を減らし続けている全国の地方都市の中では、ある意味特異な成功事例と言ってよいかも知れません。

しかし、市全体として人口が増えているのと反比例して、旧コザの中心市街地はどんどん人口が減ってきています。
冒頭で紹介した小学校の児童の在籍数の極端な落ち込み。
それが象徴的な減少です。
しかし事はそう簡単なことではありません。
子供が減るという事は、即ち、中心市街地が限界集落化しているという事です。

衝撃的な統計情報があります。
現在の各地域の世代別年齢構成、それが、20年後、30年後どう推移していくかを表した数字です。
肝心の資料を無くしてしまい、細かい正確な数字は言えません。
しかし、その数字を見た時のショックはよく覚えていて、大体の間違いのない数字は記憶から消えません。

何と、20年後には、旧コザの人口は3万人台になるのです。
確か、3万6千人ぐらいです。
そして、30年後には、3万2千人。
合併当初の半分以下になるのです。
もちろん、今後中心市街地に対する施策を何もしないという事を前提にした数字。
そしてあくまでも現在の人口動態を元にした数字です。

しかし、この数字の持つ意味、ある意味恐ろしい意味、それを真剣に考えなくてはいけないと思います。
今、そして今後、何もしなければその数字に限りなく近づいていく事でしょう。
その時、コザの人間の持っている「アイデンティティー」、いや、「コザ文化」と云われるものすら、最早過去の遺物として葬り去られていることでしょう。

何故今、中心市街地の活性化に新たなエネルギーをつぎ込まなくてはいけないか、それをこの数字は如実に表していると思います。
合併都市の切ない現実、そこには、単なる地域エゴでは片付けられない未来が待っています。
それが明るいものになるか、或いは暗いものになるか、今、そしてこれから試されます。
Posted by 漫遊国 at 19:51 | Comments(0) | TrackBack(0) | コザあれこれ

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