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<title>コザの八百屋の独り言</title>
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<description>青果の販売にたずさわって40年。自ら定めた定年を迎えて、次のステージを模索しています。3650日。これをどう生きるか、どう活かすがテーマです。</description>
<language>ja</language>
<pubDate>Tue, 06 Jun 2006 13:35:13 +0900</pubDate>
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<title>「アイモコ」ライブをモッズで</title>
<description>毎月第三金曜日、北谷のライブハウス「モッズ」で行われる「アイモコ」のライブ。今回は銀天街の青年部長を紹介がてら、総勢６名で押しかけました。週末の美浜は、コザとは別世界。気の早いイルミネーションが、あまり美浜に似つかない僕らを迎えてくれました。似つかないと言えば、ハルサーミュージシャンの「アイモコ」も一緒でしょうか。大宜味の開拓部落で農業を営む二人。その歌は、あくまでも土に根ざした暖かいものです。沖縄に今まで無かった全く新しいジャンルを開拓してくれました。そして、二人の活動は、開拓部落「江州」、そして「大宜味村」を全国区に広げようとしています。毎月第二土曜日、日曜日のファーマーズマーケットには、たくさんの人が訪れます。ミュージシャンと地域の関わり方の新しい形がそこにはあります。二人のライブはお客さんを飽きさせません。モコちゃんの、物まねを交えたおしゃべりは、福岡のFM局での人気DJだった時の事を彷彿とさせてくれます。そして、同じく福岡でのストリートミュージシャンの経験が生きているアイロウ君の朴訥とした語り。歌の世界だけでなく、日常の生活でも飾りの無い、素のままの二人を見ているような気がして嬉しくなります。壱岐と沖縄の何処か近い関係を暗示している、その様な気もしてくるから不思議です。黒潮の洗う島の出身の二人、モコちゃんは沖縄に来てホームシックとは全く無縁だそうです。その二人が、二枚目のアルバムを出しました。１２月５日の銀天街祭りでも披露してくれるであろうそのアルバムの中から、「ハルサー讃歌」の一節を紹介します。作詞はモコちゃん、作曲はアイロウ君です。日照りが続けば天を仰いで　雨を請い　雨が続けば雲の切れ間に　光を願うそうやって　だいじに　大切に育てた野菜や花たちは　わが子のように愛らしいのです種をまいたら朝が楽しみで　芽が出たら明日が楽しみで花が咲いたら毎日が楽しみで　実がなれば笑顔がたのしみで少しぐらい　カタチは悪くても　恵みあふれている歌詞はその後３番で次のように締めくくられます。咲いてしまえばほんの一瞬で　熟れてしまえばほんの一瞬で食べてしまえばほんの一瞬で　病気になればこれも一瞬でその一瞬が輝けるように　汗にまみれている曲をお届けできないのが残念ですが、是非１２月５日の銀天街でお聞き下さい。今まで誰も作れなかった全く新しいジャンルの歌を感じる事でしょう。そこにあるのは、開かれた、素直な、土の匂いのする暖かい世界です。</description>
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<category>銀天街</category>
<pubDate>Sun, 29 Nov 2009 07:00:00 +0900</pubDate>

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<title>１０００円は強い！</title>
<description>中の町社交街、「BAR１０ストリート」主催の３回目のイベント。１０００円で１０軒をハシゴ酒。いくらデフレ状況下の日本でも、こんなお得な企画はまず無いでしょう。前回は確か１２軒だったと思いますが、無事完走。さて今回はどうなることかと思いながら、一番遠い店へ。そこで出された一杯は、泡盛の６：４のちょっときつめの水割り。量はというと、普通のグラスよりも余分に入るその日限定のプラスチックグラス。最初の一杯は皆余裕、軽く飲み干し２軒目へ。この写真の店は何軒目だったのでしょうか。この頃からだんだん酔いが廻ってきて皆ハイになっています。コザでは有名な某新聞社の部長とバッタリ、分けも分からず盛り上がります。写真に写っている二人、実は、全くの初対面。いや、僕らもそうです。前日コザに来たばかりの岐阜の女性。コザは確か初めての筈です。しかし、この盛り上がり様。すっかりコザのファンになってくれました。何はともあれ今回も無事完走。最後の店に着くと、銀天街屋台村の「がちまやー」の二人のライブが始まっていました。ここは、いつも銀天街で歌ってくれている「安里」さんの「微風」です。「神饗」の二人の歌、心地よく皆の胸を打ちます。しかし、僕の記憶もここまで。その後、「コザクラ」に行ったのかどうか、まったく覚えていません。気が付いたら、自宅の居間の畳の上。我が家の１４歳の猫がすぐ側に。何はともあれ、今回も無事完走。BAR１０ストリートの皆さん本当に有難う。また飲みに行きます。１０００円の威力をまざまざと見せ付けられた中の町の夜でしたが、同じ様に、１０００円で飲み放題という企画がこれです。しかも、５００円の食事券付き、さらに銀天街名物のてんぷらが一皿付いてきます。そして、今年一番のライブ企画も。中学生のブラスバンドから民謡、オールディーズ、そして、今評判の「ARIA　ASIA」と多彩な内容です。そして総合司会とライブをラジオ、テレビでお馴染みの「アイモコ」が努めます。５０００円でも安いと思いませんか？それが、何と１０００円です。枚数に限りがあると思いますので、お早めにお買い求めをお願いをします。（お問い合わせは、下記のTELまで）沖縄商工会議所　９３８－８０２２</description>
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<category>銀天街</category>
<pubDate>Fri, 27 Nov 2009 22:46:10 +0900</pubDate>

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<title>アサヒア～トフェスティバル報告会行ってきました</title>
<description>先週末、アサヒアートフェスティバル（AAF)の報告会に参加。二年振りの参加でしたが、相変わらずの会場の熱気。プログラムも盛りたくさん。二日間にわたり、全国から来たアーティストや、プロジェクトに携わったNPOなどの団体と語り合い、交流を深めます。初日は各団体の報告会です。今回のAAF２２００９に参加した２６の団体の報告がありました。その内容も実に多岐にわたります。その中には、ユニークなタイトルのものもあります。一見不真面目そうですが、実は、地域資源を考え、それを徹底して生かしていく地域創造型プロジェクト。社会とアートの距離の近さが伺えます。しかも今回プレゼンに参加してくれたのが、実は、八戸市職員。写真を撮るのは忘れてしまいましたが、とっても素敵な美女でした。実は八戸市は、中心市街地活性化の認定を受けた団体で、既にそのプログラムが動き出しているそうです。詳しいパンフレットは後日送って貰う約束をしましたが、その要は「はっち」という複合文化施設のようです。沖縄市の例でいうと、「あしびなー」と「音市場」と「公民館」、それに「図書館」といった公的な施設、市民交流拠点施設を、中心市街地に建設するといったようなものでしょうか。職員の方と話しても、八戸市の本気度が伺えます。来年、是非一度は訪れて見たい街です。同じ様に各地の街づくりNPOに参加している役所の職員、今回何名かの方と話をさせてもらいました。NPO法人「BEPPU  PROJECT」のの中心メンバーにも、活発な、話し始めると止まらない美女が。初めてAAFに参加を決めた時は、実はまだ組織の体制もはっきりとしたものではなかったそうです。しかし、それが今年、「混浴温泉世界」の一大イベントにつながり、別府の魅力を世界中に発信するまでに発展しました。AAFの始めた壮大な実験は、最初は小さく生まれたイベントでも、智の集積と地域との交流でいかに大きく出来るかを示してくれました。加藤さんの言う、開かれたアートの力が地域を動かす原動力になるということが、今回も報告会に参加して実感出来ました。そして、AAFに参加している全国の色んな団体との横の連携も大きな目的の一つだという事も・・・実際、団体と団体の行き来しての「交流プログラム」、その報告会は、今後のAAFの大きな可能性を示している様な気がして、大変興味深いものでした。しかし一方で、「まつり」としてのAAFが、その根源的な「意味」の共有化が出来るか？もしそれが出来なくなった時、AAFの役割は終わる危険性もあるということを考えて貰いたいと、加藤さんは参加者に訴えます。そして、ビジョンを喚起できるものこそがAAFの役割で、アートはもっと開かれたものであって欲しいという発言にもつながっている様な気がしました。それは、芹沢さんの「アートと社会の健全な戦略的なつながり」という発言にも共通しているように感じられます。何れにしろ、地域とアーティストの関係、それは何よりもお互いが主体的に関わるということだと思います。一方が相手を利用するようなことではなく、相手の側とどう繋がっていくのかを考えなくてはなりません。本来コミュニティーが持っていた多様な「アート」の心。コミュニティーがズタズタにされた現代こそ、その力は、人々を繋げていく大きな可能性を秘めています。「孤立から連携へ」というのも芹沢さんの言葉だったと思いますが、そこにアートと、そして街づくりのキーワードがある様な気がします。昨日深夜帰って来たばかりで、中味の濃かった二日間の整理が充分出来ていませんが、取り合えずの僕の結論です。</description>
<link>http://yaoya.koza.in/e2620097.html</link>
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<category>銀天街</category>
<pubDate>Mon, 16 Nov 2009 16:59:25 +0900</pubDate>

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<title>街に図書館があるということ</title>
<description>「コリンザ」一階の広大な空きスペース。ここだけを見るとどうしょうも無いような寂しさを覚えます。しかし、コールセンター、あしびなー市民劇場、ハローワークと、人で一杯です。一階に空きスペースが有るとはいえ、まだまだ一億円余の賃貸収入があります。永年の懸案のその「コリンザ」の再生を巡っては様々な意見があります。過去の壮大な負の遺産、今までずっと先送りしてきましたが、最早猶予は出来ません。現在、大きな覚悟を持って、市はその処理を考えているようです。もちろん、難題は山積みです。しかし発想を変えれば、そこに次善の策が見えてくるような気がします。何しろ、ミュージックタウンと並ぶコザの中心市街地の核施設です。これを生かさない手はありません。今中心市街地に欠けているものは何かと考えた時、そこに見えてくるものがあります。それは、図書館です。現在中の町にあるそれは、狭小で、現代の新しい、市民に開かれた多機能型の図書館像からはちょっと遠いものがあると思います。単なる本を並べただけの図書館から、ネット社会にも対応した、しかも、子供にも高齢者にも訴えるものを持った図書館。そして何よりも、地域コミュニティーの核にもなり得る図書館、そこに向けて変貌を遂げることの出来る施設。車でしか行けない場所より、バスでも、歩いても行ける所に立地することの意味。そして、それが中心市街地にあることの意味を考えた時、「コリンザ」の持つポテンシャルは高いものがあると思います。現在教育委員会は、新しい図書館の建設に向けての審議会も発足させたようです。郊外に土地を確保し、新たに作るという事は、永年の夢だったと思います。しかし、せっかく中心市街地に広大な空きスペースが有るわけですから、次善の策としてそれを生かさない手はないと思います。コンパクトシティーがこれからの都市政策の主流だということですから、それに見合う場所にまず立地を考えて頂きたいものです。それと、沖縄市の重荷になっている「コリンザ」の問題が少しでも軽くなれば、一石二鳥です。郊外に新築すれば、恐らく何十億と掛かるかもしれません。財政政策上から考えれば、その何分の一かで済む案の方が、当面は良いのではないでしょうか。将来財政にゆとりが出来た時、その時こそ、日本一の素晴らしいものを作る、その夢を持っても良いのかもしれません。変化の激しい世の中です。図書館のあり方も恐らく大きく変わって行く筈です。ちょっと立ち止まってそれを見据える時間も必要ではないでしょうか。</description>
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<category>コザあれこれ</category>
<pubDate>Sat, 14 Nov 2009 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>単なる商店街から交流街へ</title>
<description>先客万来の銀天街、土曜日の交流サロンにまた新しい人が・・・右側の二人、確か自転車で日本各地を旅している若者、いや大学生だったかな。何しろ、その後飲みに連れて行ったのは良いのですが、名前を覚えていません。一期一会の出会いでした。左の方が北川君。何と彼は修士論文のテーマをコザにしているようです。専門は都市デザインのようです。１９４センチの長身は、いやでも銀天街で目立ちます。来週の火曜日まで銀天街に滞在するようです。どのような論文に仕上がるのか楽しみです。そしてこれは、先週の「コザクラ」での県内大学生の集まり。「琉九祭」のメンバーです。コザとの初めての出会いとなるイベントを控えて皆張り切っています。中心市街地に今欠けているものといえば、やっぱり若者の姿でしょうか。復帰直後、コザから大学が無くなってしまいました。無くなって初めて気が付く、知の集積の大事さ、そして何よりも若者の姿が溢れているということの素晴らしさ。今ではコザの人間はそのことを忘れてしまっていると思います。しかし今回、県内９大学の学生がコザに集まってくれています。若い力と斬新な発想で何をやってくれるか、期待と嬉しさで一杯です。中心市街地の担い手は、過去、当然商店街が中心でした。その時というのは、当たり前に病院、銀行、そして、行政機能も集積していました。もちろん、小学校も廃校寸前どころか子供で溢れていました。今で言うコンパクトシティー。中心市街地には、生活に必要なあらゆるものが全て揃っていました。ところが今や、その機能も風前のともし火です。コザの場合、近いうちに警察署も移転の動きがあり、最早、中心市街地の公的な機能の喪失は避けて通れません。当然、昔、中心市街地が担っていたコミュニティー機能もズタズタです。その様なご時世の街づくり、一体全体、その責任の重さを誰が担うのでしょうか。新しい発想が強く求められます。そういう中、若い人たちが全国各地、或いは県内各地から集まってくれているという事の凄さ。それをコザは大事にしなくてはいけません。単機能の「単なる商店街」という発想から、「生活街」、そして「交流街」へと中心市街地が変貌を遂げていくこと、そこに今後の可能性が秘められているような気がします。</description>
<link>http://yaoya.koza.in/e2616442.html</link>
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<category>銀天街</category>
<pubDate>Thu, 12 Nov 2009 16:00:00 +0900</pubDate>

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<title>２０年後の旧コザの人口は？</title>
<description>今は昔、マンモス校だったコザ小学校。現在、一学年二クラスを維持するのに四苦八苦しているそうです。しかも、僕らの時、一クラス６０人近くいたクラスが今では３０人余です。それでも厳しいというのですから、本当に時代の流れを感じます。団塊第一世代の僕らの時代の「コザ中学」、何と一学年１８クラスもありました。しかも、一クラス６０名、そのうちの二クラスは６２名もいたのです。一年生だけで、総勢１０８２名。その記録は最早破られる事は無いでしょう。団塊第一世代の僕らの時代の学校は、分離また分離の繰り返しでした。中学校だけでも二度の分離を経験し、高校でも同じ様なことが起こりました。おかげで、初めての甲子園も、エースが分離した高校に移籍したおかげで、惨めな大敗。コザ高校の唯一の甲子園の夢もほろ苦い思い出になってしまいました。旧コザと旧美里村が合併して何年たったのでしょうか。今や、旧美里村の方がはるかに人口が多くなりました。よくよく考えてみると、合併したその時から、膨大な資本投下は、旧美里村に集中してきたと思います。東海岸だけでなく、内陸部の開発も。その結果、沖縄市全体としては、人口は合併当初よりも３万人以上増えたと思います。人口を減らし続けている全国の地方都市の中では、ある意味特異な成功事例と言ってよいかも知れません。しかし、市全体として人口が増えているのと反比例して、旧コザの中心市街地はどんどん人口が減ってきています。冒頭で紹介した小学校の児童の在籍数の極端な落ち込み。それが象徴的な減少です。しかし事はそう簡単なことではありません。子供が減るという事は、即ち、中心市街地が限界集落化しているという事です。衝撃的な統計情報があります。現在の各地域の世代別年齢構成、それが、２０年後、３０年後どう推移していくかを表した数字です。肝心の資料を無くしてしまい、細かい正確な数字は言えません。しかし、その数字を見た時のショックはよく覚えていて、大体の間違いのない数字は記憶から消えません。何と、２０年後には、旧コザの人口は３万人台になるのです。確か、３万６千人ぐらいです。そして、３０年後には、３万２千人。合併当初の半分以下になるのです。もちろん、今後中心市街地に対する施策を何もしないという事を前提にした数字。そしてあくまでも現在の人口動態を元にした数字です。しかし、この数字の持つ意味、ある意味恐ろしい意味、それを真剣に考えなくてはいけないと思います。今、そして今後、何もしなければその数字に限りなく近づいていく事でしょう。その時、コザの人間の持っている「アイデンティティー」、いや、「コザ文化」と云われるものすら、最早過去の遺物として葬り去られていることでしょう。何故今、中心市街地の活性化に新たなエネルギーをつぎ込まなくてはいけないか、それをこの数字は如実に表していると思います。合併都市の切ない現実、そこには、単なる地域エゴでは片付けられない未来が待っています。それが明るいものになるか、或いは暗いものになるか、今、そしてこれから試されます。</description>
<link>http://yaoya.koza.in/e2616397.html</link>
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<category>コザあれこれ</category>
<pubDate>Wed, 11 Nov 2009 19:51:19 +0900</pubDate>

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<title>ちょっと良い話</title>
<description>沖縄市の消防本部隣にある「海賊工房」。最近また新しい離れを作りました。店はかなりの広さですが、その殆どをオーナー自ら手がけるほどで、大工の腕前も一流。さてそのオーナーとは、テレビの釣り番組に毎週登場する「山城」君。県内の釣りきちなら知らない人はいないといっていいでしょう。その「海賊工房」の男子トイレに最近まで掲げられていたのがこれです。否応なしに目に付きます。昔、国語の時間に「言霊」ということを習ったのを思い出しました。う～ん、確かにその通りかもしれません。思わず反省！そういえば、「噂をすれば影」とはよく言われることです。つい最近もその様な体験をしたばかりです。たぶん思い当たる人は多いかも知れません。話は大きく変わります。永い事ブログの更新を怠ってしまい、心配をかけました。特別の理由はありません。ついつい書きそびれると、気負いが先走ってしまい、面倒くさくなったというのが真相です。その間、コメントをくれた人への返事も怠ってしまい、申し訳ありません。これからまたぼちぼち書いていこうと思いますので宜しくお願いします。</description>
<link>http://yaoya.koza.in/e2614932.html</link>
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<category>コザあれこれ</category>
<pubDate>Mon, 09 Nov 2009 15:49:00 +0900</pubDate>

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<title>アイモコが銀天街まつりに！</title>
<description>今年６月、初めての壱岐ツァーに参加。県内で人気のハルサーミュージシャン（百姓のこと）アイモコのモコチャンの実家のある島。予想以上に大きく豊かな島、そして歴史のある島。海の幸も山の幸も豊かで、そして絶品でした。しかし何よりのご馳走は、二晩にわたり繰り広げられた「アイモコ」のライブでした。モコチャンの物真似を交えた絶妙のトーク。そして、心温まる歌。その歌詞は、大宜味の自然と農作業の合間に垣間見た様々な生き物たちの優しい光景。あの嫌われ者の「アフリカマイマイ」もモコチャンの歌詞の中では何処か愛くるしいものに変わります。その二人が、大宜味で始めた地域興しイベントが、毎月第二土曜日と日曜日に開催されている「江州ファーマーズマーケット」。塩屋大橋の手前、「産業開発青年隊」に行く途中の山の中の集落の江州部落の公民館がその場所です。沖縄がまだ貧しかった１９５０年代。多くの移民がボリビアを初めとした海外に渡ります。しかし、県内への開拓移民も盛んに行われました。西表や石垣島、そして山原の国頭、大宜味にも組織立って行われました。この江州集落もそういった人達の作った開拓部落の一つなのでしょう。周りの森の光景を見ると、その開拓の先人達の苦労が少しは分かるような気がします。その集落を盛り上げるための手づくりイベントは、他所ではちょっと味わえないほのぼのとしたものです。売っているものに決して派手さはありませんが、何よりも心の通った暖かさを感じます。アイモコの歌がそうさせるのでしょうか、何処か懐かしさと、田舎の原風景に出会ったような気がします。ライブの最後は、集落の人が輪になって踊り、お客さんに感謝の気持ちを表します。さて、そのアイモコの二人が銀天街にやって来ます。１２月５日、恒例の年末天ぷら大同窓会、銀天街まつりで総合司会とライブステージを努めてもらうそうです。大宜見の開拓部落と銀天街、違うようでいて、地域興しにかける情熱は共通しているのかもしれません。今年最後の銀天街まつり、盛大に盛り上げましょう。</description>
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<category>銀天街</category>
<pubDate>Mon, 09 Nov 2009 15:19:26 +0900</pubDate>

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<title>ウークイの夜に</title>
<description>我が家のウークイも無事済ませ深夜の銀天街へ。居酒屋「けんけん」の横に大勢の人。実は、今年お亡くなりになった仲程さんの初盆の送りの催しでした。林君が撮りためた懐かしい映像の数々。おそらく、彼ら若手アーティストの一番の理解者だった仲程さん。アーティストと地域の商店街との良き橋渡し役を果たしてくれました。ハーモニカの得意な仲程さん、今年２月の銀天街まつりが最後の舞台となりました。その形見のハーモニカを、身内の方がふきます。懐メロ、童謡、途中目頭を押さえている人もいます。暗い路地、旧盆の最後の夜。アーケードの無くなった銀天街の路地の真上には、煌々とした満月・・・そして、送りの宴も終わった丑三つ時、林君の作品のお披露目。アーケードの無くなった路地の空高く、白い布、風にそよぐ網目状の薄い布。そこに、先ほどの仲程さんの在りし日の姿が。ウークイを終わった仲程さんが、天高く上って行く様な錯覚を起こさせる、不思議な空間が現れました。映像と光のショーは、試行錯誤を繰り返しながら、午前４時を過ぎてもまだまだ続きます。光の向き一つで、様々な変化に富んだ不思議な空間が、次々と作り出されていきます。林君が言うように、それはまさに手品の様なものかも知れません。一瞬一瞬の時間と空間の織り成すショー。その下は、今回集まってくれたアーティスト達との交流の場に早変わり。そのささやかな宴は、午前５時頃まで続きました。あの世の人と現世の人が限りなく近くなる沖縄の旧盆の送りの日。まさに今回のテーマの「クロッシング」に隠されたもう一つの場。それを、今回の林君の作品に見たような気がした不思議な夜でした。</description>
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<category>銀天街</category>
<pubDate>Fri, 04 Sep 2009 16:30:06 +0900</pubDate>

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<title>街をアート空間に変えるということ</title>
<description>路地に突然現れたその名もアーケードーム。今年撤去されたアーケードの記憶を紡ぎます。中に入り、上を見上げると、アーケードがあった頃の光景が３６０度のパノラマ写真に。今回の「コザクロッシング」を象徴するような「かつおのぼり」。本部市場からやってきました。もちろん、初日のオープニングパーティーには、本物もやってきました。空き店舗のシャッターには、アーケードがあった在りし日の銀天街のパノラマ写真。藁科の邦ちゃんの傑作。毎日少しずつ変わっていく作品。最後にはどういう形になるか楽しみです。旧盆期間中にはライトアップされた姿が見れるかもしれません。スタジオ解放区の作品です。アーケードが無くなって建物の全貌が明らかになった銀天街タワー。チQ君が建物全体をペインティングしていきます。実は、一階のシャッターを閉めると凄い絵が現れます。去年インドネシアのアーティストが、最後の日の徹夜制作で残してくれたものです。それとの一体感を意識してペインティングしたようです。長い事空いたままだった店舗。洗う事をテーマにする岩井君の作った空間。とにかく最初は掃除から始めたようです。その辺は別府での経験と共通する所があったのかもしれません。何しろ、古い木造アパートを見事に蘇らせ、アートと居住空間に変えました。別府でそれを目にした時の感動は今でも忘れません。銀天街の建物、そして路地も、古いままでも、ちょっと手を加えれば、新しい輝く空間に生まれ変われます。岩井君が手がけたこの店舗、塗り替えた白い壁にその想いが詰まっています。新婚一週間目の夫婦の初の共同作業、ペンキまみれのそれは深夜にまで及びました。真っ白い壁ですが、その表面には岩井君と奥さんの姿が見える様な気がしてなりません。白い壁には、銀天街の多くの人達のセピア色の写真が貼り付けられています。そのセピア色の周りの白い空間を、新しい白い空間が取り囲みます。それこそ、今回の岩井君のテーマ、「Ｏkinawa Bleach]の世界かもしれません。そこに、街とアートが出会う幸せな時間が広がっている様な気がします。</description>
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<category>銀天街</category>
<pubDate>Wed, 02 Sep 2009 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>過去と現在がクロッシング</title>
<description>旧黒人街を大勢の人間が殆ど無言で移動して行きます。後ろの灯りは銀天街のアーケード。携帯の写真ですから暗いのは当然ですが、逆に、その夜のイベントの雰囲気がよく現れているような気がします。二年前、同じ場所で行われたパフォーマンスは大好評。今年はどういう展開になるか、歩きながらも緊張が高まっていきます。舞台は、そこだけ取り壊されずに残っている廃墟の様な建物の一角。ロウソクが二本灯されているだけ。小さなカセットレコーダーの音楽にあわせて、紗葉さんが肉声で唄います。暗い会場にその声が優しく流れていきます。周りは住宅街ですが、その一角だけが別の世界のようです。紗葉さんの独白。Snowとの出会い、そして現在が、静かに語られていきます。時には、それが唄になります。マイクを通さない声は、それこそ肉体の一部だということを改めて感じさせてくれます。演劇が肉体表現の一種だとすれば、唄もまたそうなのでしょう。紗葉さんの唄は、静かで優しく、そして何処か乾いている様。しかしそのなかに、強い意思、そして強い自己主張を感じます。物語は現在ですが、しかし、この場所の記憶が、それのみに終わらしてくれません。そこは旧黒人街です。戦後のコザの歴史が詰まっている所。ここを通り過ぎて行ったたくさんの人の数だけのドラマがあります。僕らの世代、そして銀天街に今でも住んでいる人達にとっては、そのドラマの一端が思い浮かびます。今では何処か懐かしさすら感じるそれです。時として記憶は甦ってきます。しかしそれは、懐かしさというだけでは済まされない重い時間です。二年前もそうでしたが、今回の紗葉さんのパフォーマンスにも、過去と現在を繋ぐ時間が流れているような気がしました。場所の持つ記憶の力。ふだんは何気なく通り過ぎているその場所が、ある日突然、演劇空閑として輝きます。それを思い起こさせてくれた紗葉さんのパフォーマンス。暗い道を引き返して行く帰り道。過去と現在の時間が奇妙に「クロッシング」しているような錯覚にとらわれました。</description>
<link>http://yaoya.koza.in/e2566881.html</link>
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<category>銀天街</category>
<pubDate>Tue, 01 Sep 2009 12:33:28 +0900</pubDate>

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<title>クロッシングする街、人</title>
<description>先日銀天街での撮影を終えたばかりの遠藤監督とそのスタッフの一行。はるばるニューヨークからの來沖です。カメラマンは、カンヌ映画祭での受賞経験もある一流の人です。先日のオープニングパーティーにも参加してくれました。去年はフランス、インドネシア、中国、ドイツと、様々な国の人を受け入れてきました。先日のパーティーの席には、オーストラリアからの数名のお客さんもいたようです。古い商店街ですが、意外にも多彩な人達との交流の場となっています。今年のアートプロジェクトは、その様な実績を踏まえた発展的なものに仕上がりつつあります。石垣島、本部、そしてゴヤ地区と、銀天街だけに止まらない面的な広がりを持っています。まさに、「コザクロッシング」のテーマ通りの面白さ。そして、本日の午後６時からは、八重山の唄者のライブ。おそらくコザ初登場だと思います。アートプロジェクトを介して、街と人がクロッシングしていきます。その流れを大事にしていきたいと思います。そして、翌３０日には、山里さんのパフォーマンスがあります。黒人街だった昔の記憶を呼び覚ました二年前のパフォーマンスは大好評でした。ふだん何気なく見ている崩れそうな建物が、見事なまでに劇場空間として蘇りました。今年はどの場所を劇場空間に変えてくれるのでしょうか。期待大、そして必見です。まだまだ続く「コザクロッシング」、見逃せません。</description>
<link>http://yaoya.koza.in/e2564159.html</link>
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<category>銀天街</category>
<pubDate>Sat, 29 Aug 2009 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>人と人がクロッシングする街</title>
<description>いよいよ始まりました。昨夜の賑やかな宴を静かに見守っている稲穂。今回のプロジェクトの一環の企画です。２９日の朝１０時からは、屋上の稲を守るための「案山子」作りのワークショップもあります。たくさんの親子の参加ををお待ちします。「未完」というタイトルの作品。白い幕が、次のステージの展開をまっているかのようです。場所は銀天大学の通り、元花屋さんがあった狭い建物です。今後何年かかけて、それを生き返らせていくそうです。どう変わるか楽しみです。琉大のティトゥス先生とゼミ生の住友君。オープニングの朝６時までかけて完成？、いや未完？ややこしいのですが、二人はもう既に次のステージを頭に思い描いているようです。その中味は秘密。期待しましょう。オーピニングパーティーは、東門市長も出席する盛大なものでした。その宴もたけなわの頃、会場を移しての岩井君のパフォーマンスがありました。国道の拡幅工事ですっかり廃墟のようになったバス停後ろの広場。すぐ横を国道３３０が走っているのですが、そこの会場だけが闇に包まれています。そしてもうすぐ取り壊されるビルの壁面に映像がリアルタイムで映し出されていきます。けいちゃんの優しい歌と３線の音色が、静かに闇の空間を漂うかのように流れていきます。「Ｏkinawa　Ｂｌｅａｃｈ］というタイトルの示すように、岩井君が様々なものを水槽の中で洗っていきます。日常に溢れている様々な品々。豆腐もあれば、この映像の様な魚もあります。ひたすら洗剤で洗ってはつぶします。その様子がビルの壁面一杯に映し出されます。静かに始まったその様が、やがてアングラ演劇のような緊張感に富んだパフォーマンスに変わります。岩井君、とうとう自らの頭を水槽の中に突っ込んでしまいました。髪の毛が水槽の中でユラユラと生き物のように動きます。その様は、やがて取り壊される古いビルそのものを洗っているかのようです。洗うという行為で、物を変え、そして自らを変えていく。今まさに古い建物が次々と消えていく銀天街、その再生を考える過程を奇しくも象徴するようなパフォーマンスでした。パフォーマンスが終わり、再び会場に移動。東京での結婚式の三日後に沖縄入りした二人のために、ささやかなお祝いの席が設けられました。二人には秘密にしていたようで、手づくりケーキと花束贈呈には嬉しい驚きがあったことでしょう。末永い幸せを祈りたいと思います。様々な人が行き交う今回の試み。昨夜の宴でも新たな交流が生まれ、そして始まりました。２９日（金）の夜６時からは、八重山との初交流のライブがあります。「八重山唄者」のケンヤ・マルセイユ、前花雄介、YU-ＣＨＡＮの３名が銀天街に。島で暮らす３名の唄に八重山の息吹きを感じ取って下さい。長丁場の今回のアートイベント、まだまだ続きます。最後の夜も昨夜のかちゃーしーの時のように盛り上がりますように・・・・・</description>
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<category>銀天街</category>
<pubDate>Thu, 27 Aug 2009 18:35:29 +0900</pubDate>

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<title>路線バスの停留所の複線化を</title>
<description>写真は、ある日のゴヤのバス停の様子。片側２車線の一つが３台のバスで埋まっています。当然一車線はつぶれているわけですから、交通渋滞の原因にもなります。しかし、ことは渋滞だけの問題ではありません。自分の待っているバスにもし降りる人がいなければ、３台目、４台目のそれは、無常にも停車せずそのまま素通りです。沖縄市を貫く国道３３０号線は、実はバス路線が集中している所です。退職してから専らバスを利用しています。そこから、車中心の生活では分からなかったことが見えてきました。実は、沖縄のバスは意外と便利なのです。特に、３３０号線の沿線の住民にとってはこれほど便利なものはありません。自宅近い停留所でおよそ１０分以上待つことは極めて稀です。しかし問題は、東西を貫く路線網です。その路線網の便数の少なさがネックになって中々自家用車からの乗り換えが進んでいません。そして、バス路線網の広報宣伝の場が余りにも少なさ過ぎます。実は、それさえ分かっていれば、沖縄中何処でもバスで行ける筈です。そして観光客にも自信を持って教える事が出来る筈です。要は、沖縄市にバスセンターの様な施設が無いという事がネックになっているような気がします。何も大規模な箱物を作れと言っているのではありません。それこそ、費用対効果の面から考えると現実的ではありません。むしろ、現在のバス停をセットバックして、平行に４～５台ぐらいが同時に停車出来るような拡幅の方が良いでしょう。現実に、国道の拡幅計画があると聞いています。ゴヤからコザ十字路までの全面的な拡幅の要望もあるようです。しかし、その実現までの時間と費用を考えると、少なくともゴヤとコザ十字路のバス停の複線化の方が実現性は高い様な気がします。その複線化が実現すれば、そこを拠点に、新たな路線網、そしてコミュニティーバスの運行にも道を拓くことが出来るかもしれません。現に、その可能性を見据えているＮＰＯ団体もあります。過去の実証実験の失敗の原因を充分検証することから、新たな可能性が出てきます。一度の失敗に懲りずに、再度論議の輪を作る事が大事な事だと思います。バスに乗らない人の意見の大部分を占めるのが、「定時制」だと思います。もちろんそれを否定はしません。しかし、それは一方的にバス会社だけの責任とは言えません。先ほどの写真のバス停の様子を見てください。現在のバス停の構造では、バス停での時間調整など不可能です。現実にバスを利用して分かったことは、意外に時刻表通りだということです。もちろん、それには理由があります。具志川のバスセンターから近い距離のバス停だからです。その誤差は遠距離になればなるほど大きくなっていくのかもしれません。しかし、バスを利用して分かった事は、時刻表の時間より早く着くバスの意外な多さです。もちろんあらかじめ渋滞の時間を加味していることによるズレだと思います。慣れれば、利用する方も早めにバス停に着けば良いと思われるかも知れません。しかし、事はそう単純ではありません。そのことが、バスの定時制の神話を崩すのです。お客さんの信頼性を失わせてしまうのです。定時より早く着けば待つぐらいのことをしなければ、時間に対する信頼性を損なう事になります。那覇と違い渋滞の少ない中部では、登りの路線は、定時運行がほぼ可能ではないかと思います。特に、乗客の少ない時間帯は、遅れより早いことが問題ではないでしょうか。何故、少なくともコザ十字路とゴヤのバス停の二箇所の複線化が必要かという理由の一つがこれです。時刻表通りの時間に行けば確実に乗れるという信頼性があれば、例えその時間が多少遅れても、人は納得するものだと思います。そのためにも、ミニバスセンター的なものが必要なのです。そして、そこにはコミュニティーバスの発着場もあり、それに付随してバス路線網の案内業務をする小さな施設があればなお良い。中心市街地に人を呼び込むため、そして将来の高齢化に対応するためにも、公共交通網の充実は避けては通れません。もちろん、地球温暖化を防ぐ為にも。</description>
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<category>コザあれこれ</category>
<pubDate>Wed, 26 Aug 2009 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>銀天街音頭の記憶</title>
<description>昔、沖縄市の２大祭りと云えば、「全島エイサー祭り」と「沖縄祭り」だったと思います。「全島エイサー祭り」の方はその後、「オリオンビアフエスト」との併設でますます賑やかになっていきました。しかし、「沖縄祭り」の方はだんだん地味になっていき、名称も「沖縄国際カーニバル」に変わり、開催場所もゴヤ中心になってしまいました。セピア色の写真は、「沖縄祭り」のパレードでの銀天街婦人部の姿です。当時の祭りの主会場は、現在の市営球場でした。そしてパレードの出発場所はというと、美里の現在ＭＡＣのあるあたりです。江戸のぼり行列だけでも何百人という大パレードです。おそらく総勢２千名を軽く越える人間が、カマラの急坂を越えて約４キロの道のりを延々と練り歩く様は圧巻でした。当時、中心市街地の商店街は活気に溢れていて、今みたいに空き店舗なんて全く無い時代でした。各通り会は、それこそ趣向を凝らした山車やら踊りで、沿道の市民に熱心にアピールしていました。銀天街商店街の組合の行列は、その中でもひときわその参加人数で際立っていました。その当時、毎年パレードの整理係をやっていたのでよく覚えています。写真に写っているのは、その半数にも満たない行列です。僕の記憶では、毎年百人以上の参加があったと思います。何しろ、青年部の数も５０名ぐらいいる時代です。そして街全体が元気のある時代です。ひょっとすると２００名ちかくの人がパレードに参加していたかもしれません。今ではその記憶も遠い昔のようになってしまいました。しかし先日、銀天街の組合事務所での会合の後、参加者全員で起立して歌った歌が、あの懐かしい「銀天街音頭」だったのです。仲田君の話では、最近の組合の集まりでは、決まってこの歌を歌うのが習わしになっているそうです。銀天街華やかなりし頃の歌ですから、作詞、作曲も県内の著名な方の作です。もちろん、あの華やかなパレードにも使われていた曲です。今では、その曲にのって踊る振り付けを覚えている方も何人もいないかも知れません。しかしもしいるのでしたら、その復活プロジェクトを立ち上げてみるのも面白いかもしれません。当然レコードは残っていない筈ですから、新しい感覚のアレンジで曲作りをしても良いかもしれません。何しろ、商店街がオリジナルのテーマソングを持っているということは凄い事です。単なる記憶の片隅に追いやるのではなく、今の時代に復活させるという事は、とても意義深いことです。次の銀天街のテーマになりそうな気がします。最後にその「銀天街音頭」の歌詞を紹介します。</description>
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<category>銀天街</category>
<pubDate>Tue, 25 Aug 2009 12:00:00 +0900</pubDate>

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<title>アサヒアートフェスティバルいよいよ２６日から</title>
<description>今年の「アサヒアートフェスティバル」、どこか違います。アート蜜貿易を名乗るだけあって、銀天街だけではなく、遠く八重山、本部、そしてゴヤと、色んな地域とリンクします。２１の展示企画、八つのライブ、そして会期も１２日間に及ぶ野心的な試みです。昨日行われた焼き豚パーティーには、全国各地から既に会場入りしている若いアーティスト達も参加。何度も銀天街を訪れている人もいれば、今回初めてという人もいます。出身地も様々。北海道、福島、福井、東京、長野、福岡、東京、そして明後日には台湾からのアーティストも。もちろん地元の参加者も琉大、県芸大、そのOBと実に多彩なメンバー。その多くが銀天街に滞在して製作中。いつもの静かな商店街に突然の活気が戻ってきました。今回も幾つかの空き店舗、長い事閉まっていた幾つかの店を利用します。きれいに掃除されたがらんどうの空間が、この２～３日でどう変わるか楽しみです。この空間は、東京の岩井君が企画するスペースになるようです。結婚式から一週間後の來沖で、ちょっと可哀相だと思っていたら、本日新婚の素敵な奥さん到着です。勇気百倍というところでしょうか。東京の菊原君の製作中の展示スペース。スタジオ解放区の林君の同級生、もう何年も銀天街に通って来てくれています。今ではすっかり銀天街住人化、地元の人にも何の違和感も感じさせません。今回の試みが今までとちょっと違うのは、会場が面的な広がりを持っていることでしょう。街全体を周遊する感じになりそうです。これは、今年訪れた別府と横浜黄金町の例にならったものだと思います。そしてそれは銀天街のみに止まらず、ゴヤ地区にまで広がっています。これも例年と違う試みです。アートを介して中心市街地の二つの地区が結びつくというのは素晴らしい試みです。そしていよいよ今日の本題。去年の栄町での出会いから始まった本部市場との交流、その成果を生かした「カツオの夕べ」、そしてオープニングパーティーが、２６日午後６時半から行われます。場所は今年開けたばかりの「街の駅、たーぶっくわ」です。那覇向けバス停から一軒奥に入った建物です。本場本部直送のカツオ料理が色々楽しめるようです。また、この場所で期間限定で営業する「ピンクバー」のお披露目の日にもなります。多くの人のご来場を心よりお待ち申し上げます。</description>
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<category>銀天街</category>
<pubDate>Tue, 25 Aug 2009 00:56:07 +0900</pubDate>

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<title>鎮魂の6月、そして宮森小学校・・・</title>
<description>沖縄の6月は鎮魂の月。沖縄各地の声無き無数の慰霊塔、その前での慰霊祭。もちろん、沖縄戦の犠牲者を悼むためのものです。しかし今日３０日のそれは、戦後、１９５９年の出来事の為のものです。資料展の写真に写っている事故直後の惨状。宮森小学校手前の集落に落ちた戦闘機は、そのまま多くの住宅をなぎ倒しながらバゥンドして学校へ。硬い福木の木に守られていた校舎を一瞬の内に瓦礫と化してしまいました。当時貧しかった沖縄、学校の校舎の中にはトタンぶきのものが数多く有りました。その校舎は跡形もなく燃えてしまって、この写真には写っていません。三つの教室が全焼、二つの教室が半焼。また住宅１７棟、公民館１棟も全焼、そして８棟が半焼という、稀にみる大惨事です。燃え焦げている集落の様子。米兵の姿が数多く見られます。事故直後、石川集落に向かう道は、残らず交通止め。親戚の安否を確認する為には、徒歩で往復しなくてはなりませんでした。親父が親戚、知人の安否を確認するために石川に向かいました。前年コザに引っ越した僕らの家族でしたが、実は石川には数多くの親戚がいました。そして何より、戦闘機が落ちたのは、前の年まで僕ら家族が住んでいたすぐ裏の集落だったのです。距離にして２０メートルもあるかないかです。運命の不思議さを感じました。写真を出すのに躊躇しました。事故で亡くなった同級生です。しかし、５０年の節目、記憶に残さなくてはなりません。一緒に遊んだ日々の記憶は永遠に消えません。男の同級生は彼一人だったのですが、その他にも女の同級生が二人亡くなりました。そして、ひどい火傷の後遺症を負った同級生も何名かいます。もし僕らの家族が前年コザに引っ越してなければ、僕と下の妹弟二人もどうなっていたか分かりません。資料展会場で何十年ぶりかにあった同級生。事故当時の惨状を改めて彼から聞きました。実は、僕が宮森小学校を訪れるのは、本当に何十年ぶりかだったのです。小学校の良い思い出もたくさん詰まった場所の筈ですが、何故か気が重く、足が向きませんでした。会場で、同じ様な想いを持っている人と話しをする機会がありました。彼は当時３年生、事故の時、給食のミルク当番だったそうです。そして事故。左足に深い傷を負いました。多分意識を失ったのでしょう、その後の記憶が全くといっていいほど無いそうです。そして彼も、５０年という節目の日が来るまで、一度も宮森小学校に足を踏み入れる事が出来なかったそうです。会場の入り口に、亡くなった１７名の方の遺影があります。しかし、半数近くの方の遺影がありません。恐らく遺族の方から提供を拒まれたのだと思います。そこに、５０年という年月を経ても変わらない遺族の無念さが滲み出ているような気がして、真っ白い、名前だけの遺影に合掌です。平和資料展は７月１２日まで行われます。５０年という時間の長さと短さを、それぞれが感じる空間です。ぜひ足をお運び下さい。あらためて合掌・・・・・・</description>
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<category>コザの昔話</category>
<pubDate>Tue, 30 Jun 2009 17:45:36 +0900</pubDate>

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<title>何だこりゃ珍発見候補を発見</title>
<description>テレビの人気番組「何だこりゃ珍発見」にもう既に出たのかどうかは分かりません。しかし、これは紛れも無くその資格をもっているとおもいます。場所は、別府の駅前通りのど真ん中。かなり目立つ所に有ります。最初見たときには、風俗関係のビルかと思いました。それにしても大胆なネーミングだなぁーというのが実感でした。看板の色もピンクっぽいし、それに疑いを持ちませんでした。しかし・・・・・何とここは、地元ではかなり有名なブライダル専門の店です。ウエディングドレスから美容室まで、幅広いブライダル専門の会社のようです。地元では歴史のあるブライダル関連の老舗だという話です。タクシーの運転手さんに、「面白いネーミングですね」と問いかけたら、逆に怪訝な顔をされました。それぐらい地元の人にとっては馴染みのあるネーミングで、何の違和感も感じないようです。エッチというのは、創業者の名前に由来するそうです。うーん、考えさせられました。地元の人にとっては常識的なネーミングでも、外からの人にとっては「何だこりゃ」というのが結構あるんではないかと。もちろん、沖縄も例外ではありません。有名な所では、那覇にも、恩納村にもそれはあります。もしかして、コザにもあるんではないでしょうか。思いついた方がいたら、是非コメントをお願いします。そして、それを集めたマップでも作ったら面白い！</description>
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<category>旅</category>
<pubDate>Wed, 03 Jun 2009 07:00:00 +0900</pubDate>

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<title>祝！前島アートセンター8周年記念パーティーが</title>
<description>えっ、まだ8年、というのが正直な気持ちです。てっきり10年以上の活動実績を積んできたとばかり思っていました。現代アートと地域との関わりが全国的な潮流になりつつある現在。前島アートセンターはその先駆けとも言うべき存在です。活動の拠点を前島から栄町に移して、そのパワーと存在意義はますます増しています。パーティー参加者の年齢の多彩さ、職業の多彩さは際立っています。そして又、活動を支える人も、地元はもちろん県外、外国にまでその広がりを見せています。まさに、街なか美術館の面目躍如です。展示スペースでは、大学生のライブ演奏。これが中々の出来。現在、県内各大学の学生がワークショップ、ゼミ等でここを頻繁に使っているようです。古い商店街の空間が彼らにはたまらないようです。前島の活動に協力しているのは学生ばかりではありません。琉大、県立芸大の教授、准教授の先生方も一生懸命です。その日のパーティーのバーテンダーは、先生方とその家族、そして学生。知の集積の高い「街なか美術館」の素顔を見せてくれます。現在の前島アートセンターの理事の半数は、大学の先生のようです。コザにとっての羨ましい事の一つです。満面の笑みの栄町商店街の理事長。栄町に移転当初は、恐らく現代アートとは何の関わりも無い人だったのかも知れません。しかし今では、地元の人と外から来て活動する人の無くてはならないパイプ役です。前島はそういう多くの地元の人に支えられています。これも、コザがモデルにすべき良い事例です。前島アートセンターがここまで地域に認知された要因の一つに、宮城君のキャラも大きかったのかも知れません。いつも飄々としていて、決して慌てる事のないその姿。それはどこか弱々しさすら時には感じさせます。しかし、そこに一本芯の通った強さを秘めています。外見の弱々しさと芯の強さの両面が、実は多くの人を惹きつけてきた秘密なのでしょう。前島アートセンターでは多くの人がその主役です。一人一人の自立した活動の数々がそれを物語っています。今後もその良き風潮が失われることは無いでしょう。それが8年間の活動の大きな財産だからです。宴たけなわのパーティーを、商店街の副理事長の嘉納さんに誘われて途中抜けました。久しぶりの栄町の飲み屋街。大学時代に通っていた頃とはもちろん様変わりしています。しかし、やっぱり、この街は僕にとっても青春の街です。通りのあちこちに残る記憶の断片、40年近くの時間があっというまに鮮やかに蘇ります。ちょっと意味不明ですが、まさに栄町は、僕にとっての「青春の門」そのものの様な気がしました。心地良い、青春のほろ苦さを思い出しながら栄町を後に・・・・8周年おめでとうございます。</description>
<link>http://yaoya.koza.in/e2501792.html</link>
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<category>その他</category>
<pubDate>Tue, 02 Jun 2009 11:11:47 +0900</pubDate>

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<title>歌声屋台と栄町ナイトバザール</title>
<description>前島アートセンターのパーティーをちょっと抜けて、いつもの屋台へ。その頃にはちょっと酔いが廻っていて、これからの写真は全てピンボケ状態。2年前初めて来た頃はそんなにお客さんも多くなかった店も、今は大繁盛。店主一人でやっていた店に、今ではミュージシャンがバーテンダーに。頃合を見て、カウンターで歌いだします。主に、フォークとかの懐かしい歌が中心です。完全なピンボケ写真ですが、店の雰囲気が良く分かる一枚です。バーテンダーの歌の後は、お客さん主体の即興の演奏会。通りの真ん中で、ギター片手に歌いだします。そして、盛り上がってくると、皆で合唱。往年の歌声喫茶と何処か似てきた様な雰囲気がかもし出されます。客層はというと、殆どが地元の人間で、しかもその日は中高年主体。しかし・・・・僕らが歌声で盛り上がっている横の路地で、何やら怪しい動きが始まりました。何人かの若い人達が、小さなテーブル、そして地べたに、次々と商品を並べていきます。最初は、屋台でも始めるのかと思っていましたが、どうやらフリーマーケットの模様。総勢7~8名ぐらいの若者が次々と店を開いていきます。この写真の時は、お客さんはまだぼちぼちという感じだったのですが、その後・・・僕らが歌声に気を取られている間に、ぞくぞくとお客さんが詰め掛けてきました。しかし、狭い路地ですから、その数が実際にはそんなに多くはなかったのかも知れません。そこは喧騒に溢れているというような雰囲気ではなく、静かな、どこか走馬灯がぼんやりと輝く様なゆったりとした趣きの空間です。屋台の歌声とその静かな空間のかもし出す雰囲気が、うまい具合に調和しています。薄暗い路地の雰囲気がそうさせているのでしょうか。路地の使い道の新たな提案をそこに見ました。左が、このナイトバザールを主宰している方。先月からの試みのようですが、ゆくゆくは台湾の「夜市」のようなものを目指しているとのこと。当面は月一の開催のようです。基本は、手作り商品の販売で、どこかのようにとにかく何でもありというわけではありません。その場に感じた温かい雰囲気も、きっと其処から来たのでしょう。何よりも若い人達が自主的に始めた事が素晴らしいことです。まだ二回目ぐらいの開催のようですが、おそらく今後定着していきそうな気配を感じました。商店街に、年齢層、担い手、その他の重層的な、複合的な要因が現れてきているのは面白い現象です。それが又栄町に、新たな魅力を付加することになりそうです。コザのモデルをまた一つ発見した夜でした。</description>
<link>http://yaoya.koza.in/e2501838.html</link>
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<category>その他</category>
<pubDate>Tue, 02 Jun 2009 07:00:00 +0900</pubDate>

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